山村
朋弘
さん
津和野町 ◀◀◀ 大阪府
#両親と同居 #Uターン
山村
朋弘
さん
津和野町 ◀◀◀ 大阪府
#両親と同居 #Uターン
島根県・津和野町の山口県との境に近い場所で生まれ育った山村朋弘さんは、高校時代まで地元で過ごした後、声優の専門学校へ通うため大阪へ。
専門学校卒業後は声優事務所へ所属し、駆け出しの声優としてナレーション等の仕事で経験を積んだが、安定には程遠く、別の仕事をしようと全国展開されているスポーツクラブに就職。「子どもは好きか?」と面接で問われ、「好きです」と答えたことで、子ども向けのスイミングインストラクターとして働くことに。以後、数年にわたって子どもに水泳を教える。
ところがコロナ禍によって在籍していた支店が閉鎖してしまう。環境と世間の急激な変化は、山村さんが地元に帰ろうと決めるきっかけとなった。
移住 Before After
移住前
居住地 | 大阪府泉大津市 |
---|---|
職 業 | スイミング インストラクター |
間取り | 1K |
趣 味 | 漫画・ゲーム |
移住後
居住地 | 島根県津和野町 |
---|---|
職 業 | 農業 |
間取り | 一軒家 |
趣 味 | 漫画・ゲーム |
スポーツクラブの支店が閉まることになり、別支店への異動も打診された山村さん。
だが、世の中がコロナによって大きく動いていた時期。ニューノーマルという言葉が生まれ、働き方や暮らし方の変容もあって、「本当にこのまま大阪にいるべきだろうか」と思うようになったという。
そう考えているうち、実家のある島根のことが気になり始めた。大阪へ残るか、それとも故郷の島根に帰るか。
積み上げてきた暮らしをリセットすることに、少なからず恐れはあったものの「実家に帰りたい」という想いが勝り、異動の話を丁重に断って、気持ちの向くまま故郷・津和野町へ帰ることを決めた。
仕事探しスタート
新しいことに挑戦したい
気持ちから
「UIターン しまね産業体験」に参加
生まれ育った津和野町へUターンすることを決めたものの、その時点ではまだ仕事も何も決まっていなかった。住める家があるからこそ転職の不安はほとんどなかった。
Uターン後「何をしようか」と考え、津和野町での仕事を調べる中で農業に興味を持つ。持ち前のチャレンジ精神から「やったことのないことをやってみたい」と思うものの、どうしたらよいかがわからない。津和野町役場農林課へ相談に行くと、ふるさと島根定住財団を紹介され「UIターンしまね産業体験」のことを知る。
山村さんがしまねで見つけた
「ちょうどいい」
「大阪へ出たのもUターンしたのも思いつき」だという山村さん。そんな思いがあったからか、故郷を離れていた期間の長さが、「帰ってから馴染めるのか」という不安になった。しかしいざ帰ってみれば、昔からの友人たちは県外へ出る前と何ら変わらなかった。そんな心の距離感が、なんとも心地よくちょうどいいものだと思えた。
ただ、山村さんはこう言う。「ちょうどいいって見つけるよりも自分でつくるもの」。そこにあるものや環境から享受するだけでなく、自ら動いて、自らがちょうどいいと思える状況を作っていくことが大事だと考えているそうだ。Uターンして農業をはじめたが、それ以外にやりたいことを少しずつ増やしており、最近は益田市の音響会社と一緒に、声を仕事にしたい人へと向けたワークショップをスタートしている。
自身の菊栽培になぞらえて「種を蒔いて育ててもどんな形の花になるかわからないじゃないですか。それと同じでやりたいことの種を蒔いた先がどうなるかはわかりません。でもきれいな花になるように、これからも自分のペースで進めていきたい」と話してくれた。
移動手段の
大きな変化
Uターン前と比べて最も大きな変化が「移動手段」。車での移動がメインになり、仕事はもちろん、買い物などにも車が必要になった。それに伴って関連する費用が増えたという。
また、山村さんは「生ビールを飲む機会が減った」と残念そうにしながらも、以前より飲酒の機会が格段に減ったことで、「ずいぶん健康的な身体になりました」と嬉しそうに笑った。
山村さんが利用した支援 UIターンしまね産業体験
UIターンし、農業・林業・漁業・介護・伝統工芸等の産業を体験する場合、滞在に要する経費の一部を助成する制度。受入先から直接指導してもらい、知識のみならず技術も学ぶことができます。マッチングから体験期間中の相談まで、定住財団も細やかにフォローします。
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