今春、独立後初めてわさびを収穫。「想定より収量が少なくて利益としては全然ダメでした」と苦笑いする田原さん。来シーズン以降の課題は見えたものの、地盤がない場所で新たなことをスタートする大変さを痛感しました。しかし、田原さんに悲壮感はありません。その理由のひとつが、地元の中学校で午前中、非常勤講師として働き、ある程度安定した収入を得ていること。
「元々、教員に戻る考えでしたし、家族ができて生活を考える必要もありました」。しかし兼業のメリットは、収入面だけではないそうです。「どちらも自分がやりたいこと。メリハリが生まれてモチベーションも上がるし、無理せず自分のペースでわさび栽培に挑めている気がします」と田原さん。力み過ぎない挑戦が成功を導くのかもしれません。
移住BEFORE・AFTER
[BEFORE]
□ 住所
静岡県
□ 職業
中学校非常勤講師
□ 住まい
6LDK
□ 趣味
サッカー、サウナ
[AFTER]
□ 住所
吉賀町
□ 職業
わさび農家兼、中学校非常勤講師
□ 住まい
6LDK
□ 趣味
サッカー、サウナ、ドライブ
移住“前”の暮らし
コロナ禍でJICA活動できず
県内外で農業体験をスタート
常勤講師として中学校に4年勤めた後、自身の視野を広げることで生徒らに還元できるものが増えるのでは、とJICA(国際協力機構)に応募。しかし、想定外のコロナ禍で海外渡航が難しくなります。そこで以前から興味があった農業の体験を県内外でスタート。
島根に決めたワケ
関心があったわさび栽培を
島根在住の友人に紹介される
群馬県での高原キャベツ収穫が終了する頃、島根県在住の友人から当地でのわさび栽培を紹介されます。地元・静岡県がわさび栽培で有名なこともあり、元々関心があった作物のひとつ。キャベツの収穫作業が終わるや否や、友人のもとへ飛び込みます。
移住のためにしたこと
下調べゼロでIターン
友人、役場経由で生産者宅へ
ほぼ下調べをしないまま、益田市在住の友人宅に出向いた後、わさび栽培が盛んな津和野町の役場へ。定住財団による「しまね産業体験事業」などについて説明を受けたうえで、師匠となるわさび生産組合長のもとへと連れて行ってもらいます。
“今”の暮らし
わさび農家×中学校講師
地元女性と結婚し、父親に
産業体験、津和野町の就農研修を経てわさび農家として独立。午前中は益田市内の中学校で非常勤講師として働き、午後はわさび栽培に従事。加えて週3回は学童保育のスタッフとしても働いています。2022年には、地元の女性と結婚、今夏第一子が誕生しました!
昼間は学校の講師、午後はわさび農家
暮らしの安心感を保てる半農半Xは
“やってみたい!”が叶う移住の新たな形
-
2020年9月
元々、農業が気になっていたところへ、
親友からわさびを勧められる。 -
2020年9月
津和野町役場へ問合せ。
「産業体験」の制度を知る。 -
2020年11月
日原山葵生産組合で産業体験開始。
師匠の下でわさび作りのイロハを学ぶ。 -
2021年11月
津和野町の農業研修生支援事業を活用。
計2年間、研修。
技術や知識に加え、誇りも伝受
わさび農家への就農を提案してくれた友人に連れられ、田原さんはまず、古くから全国有数のわさび産地である津和野町の役場へ。定住財団による産業体験事業を紹介され、明治期から7代にわたって栽培を続ける農場で知識と技術を習得することに。益田市内にある友人の祖母宅を間借りし、津和野町まで通い始めます。
師匠は、わさび一本で生計を立てている地元の生産組合長。1年間、苗づくりから収穫、収穫後の調整作業に加え、土起こしや肥料づくり、水の管理などについて学びました。「師匠は〝百姓〟という字の通り、何でも自分でできる人。栽培技術だけでなく、わさび農家としてのプライドやこだわりを間近で見せてもらい、多くを得ることができました」。
“農業×教師”で
新たな働き方を模索
翌年には町の農業研修生支援事業を活用し、計2年間の研修を経て独立。奥様のご実家から譲り受けたわさび田約5アールと、リースしたビニルハウスで栽培をスタートしました。収穫まで約2年かかる山でのわさびと異なり、ハウスでは秋に苗を植えると春には収穫できるそう。「師匠と同じように世話をしたつもりですが出来映えはまったく違い、収量も思ったより少なかったですね」と田原さん。「わさび栽培の手法は人それぞれ。師匠に加え、諸先輩方の技術を学んで、自分なりのやり方を模索していきたい」。農家と中学校教師という二足の草鞋を履く田原さん。「農家一本より、両方頑張る方が自分の性分に合っているかも。新しい働き方としてありじゃないかな」。