京都市内で暮らしていたのはマンションの1LDK。街の真ん中だったので、飲みに行ける店は多いし、普段は自転車で何でも完結できるくらい便利でしたが、子育ては絶対無理だと思っていました。妻の実家での同居を経て2021年4月、店からも実家からも近い場所に3LDKの平屋を新築。翌年には京都から母を呼び寄せ、同居しています。広々としたLDKは、キッチンからすべてのフロアを見渡せるので妻が喜んでいます。今後は、家庭菜園での野菜栽培にチャレンジするつもりです。
店で使う食材を買い出しするついでに、家族用の食材も購入しています。スーパーなどでの陳列が地産地消を重視している影響もあって、無意識に地元産の食材に手が伸びるように。スーパーでは、一匹丸ごとの魚が並んでいるのに驚き。京都のスーパーはほぼ切り身だけでした。野菜も魚も鮮度が本当に良く、真夜中に24時間スーパーに駆け込んでいた京都時代とは大違いです(苦笑)。子どもも保育園で地元食材の手作り給食を食べているせいか、とても舌が肥えていて、できあいのコロッケやハンバーグにはそっぽを向きます(笑)。
京都時代は1LDKで家賃が約8万円。今は一戸建てを新築したのでローンの支払いが月約10万円ですが、広くて庭もあり、母も一緒に家族5人がゆったりとくつろげています。食費は、外食が減った上、店の食材や料理の残りなども持ち帰って活用しているので、家族が増えたにも関わらず随分減りました。ご近所から野菜をいただくことも多いですね。
一方、京都では寝る時くらいしか自宅にいませんでしたが、今は子どもや母が同居している上、コロナ禍の影響で「おうち時間」が増えたため、光熱費は大分増えました。ただ、子どもの医療費は中学卒業まで無料で、2歳の次女の保育料も国の基準より低いので、教育費はほぼかかっていません。
京都市内に住んでいたので、普段の移動は自転車か徒歩がメイン。運転免許すら持っていなかったので、移住を決めたらまず教習所に通いました。母も運転できないのですが、年齢的に免許取得は難しい上、バスやタクシーも少なく、日中は出かけずに家でくつろぐことが多いようです。母には平日の夜、店の厨房を手伝ってもらっていますが、同年代の義母と休みが合った時には、二人でドライブを楽しんでいるようです。
Iターンして約2年は定住財団などに紹介してもらった飲食店に勤務していました。しかし雇われて料理を作るのではなく、京都で培ってきた自分たちの技術を生かし、自信あるメニューをお客様に直接食べてもらいたいという気持ちが膨らんできました。妻と二人で自分たちの店を出すのは、以前からの夢。働きながら少しずつ市役所や金融機関、商工会議所などに相談し始めました。京都に比べ、人口が少ない大田市で経営できるのか不安はありました。しかし、同世代の人が経営している飲食店に2人で出向いて話を聞いたり、商工会議所で具体的な数字を出したシミュレーションをしてもらったりして次第に不安を払拭。ホテルや同業者が多く、駐車場もある今の場所での開業を決めました。 店は2人で経営するには広過ぎたので、当初は席数を半分にしてオープン。料理やドリンクのメニューも絞りました。できるだけ地元産の食材にこだわり、家具も地元の職人さんにオーダーメードで作ってもらいました。しまね和牛の旨みを生かしたデミグラスソースなどが好評で、少しずつリピーターの方が増え、浜田市や出雲市、松江市から定期的に通ってくれる方も。コロナ禍前は宴会需要も高く、今では座席数も開店時の約1.5倍、メニューは約2倍に増えました。 最近、店で水素水を使い始めたところ、ブイヨンが以前より濃厚に取れるように。ソースの味もより向上しました。将来は、うちの看板でもあるデミグラスソースを商品にして全国に展開していけたら、と夢を描いています。
店に来て下さるお客様も、行政や商工会議所、同業者の人たちも、本当にみんな優しくて。人が一番好きですね。商工会議所主催の起業塾で知り合った方に誘われたのをきっかけに、三瓶山の頂上で朝日を見ながら朝食を頂く人気イベント「天空の朝ごはん」に参画。毎回、季節野菜のスープを提供しています。観光リフトの故障やコロナの影響で順調にいかないこともありましたが、さまざまな人との出会いに恵まれ、美しい朝日の景色には毎回感動を覚えています。コロナ禍には町内の5店舗共同で「ドライブスルー弁当」を実施。ピンチの時にも、同業者の方たちとタッグを組んで乗り切ってきました。地域の活動に参加することで、店の中ではできない多くの経験をさせてもらっています。