こんにちは!山陰のタウン情報誌ラズダの編集部みずっちです。
日常生活の中でも「こんなところに何故これが!?」といった“不思議スポット”を発見することありますよね。実は島根県にも思わず調査したくなっちゃう少し変わったスポットがたくさんあるんです!
そこで今回は、島根県にある珍しい風習や不思議な光景が見れる場所、パワースポットなど4つご紹介。松江城下の「盆踊らない」など島根県にしかない「すごい!」を特集します。
カニ歩きで進め!古社に続く極狭の参道
【出雲市】 韓竈神社
「もの珍しさに県外からも参拝客が訪れる」といわれる“極狭の参道”を求めて、出雲市中心地から車を走らせること約40分。島根半島の海岸を走り、舗装が無くなった山中をゆっくり進んでいくと、ようやく『韓竈神社(からかまじんじゃ)』の駐車場を発見。参道はここから約800メートル歩いた先にあります。
ふと携帯を見ると、なんと圏外!車や人とすれ違うこともなく、聞こえるのは鳥のさえずりや川のせせらぎ。静かな杉木立の坂道を進むと、ようやく鳥居が見えてきました。その先に果てしなく続く急こう配な石階段。社は見えず、いったいどこまで続いているのか…。
参道を登るにつれて、石階段がさらに急こう配になっていきます。300段の石階段がくねくねと続き、途中には岩を支えにしてよじ登るようなポイントもあり、険しさは想像以上。石階段を登りはじめて約15分、ようやくお目当ての“極狭の参道”に到着!
せ、狭い!とても参道とは思えないほど狭い!隙間の向こうには少し開けた景色が見えるので、道は間違えていないはず。岩の間の幅はおよそ45センチ。足元を確かめて、体を半身にしながらカニ歩きでくぐり抜けていきます。
岩の間をくぐり抜けて、ようやく御本殿に参拝。参道が険しいゆえに、たどり着けた達成感もひとしおです。ちなみに韓竈神社の拝殿は、御本殿からは離れて唐川町の集落の中にあり、御本殿を拝むのと同じ御利益があるとされています。御朱印は『鰐淵コミュニティセンター』でいただけるので、帰りに立ち寄ってみるのもおすすめです。御本殿へ参拝する際は、天候の良い日に、ズボンやスニーカーなどの軽装で向かいましょう。
韓竈神社
電話:0853-66-0006(韓竃神社 佐々木宮司宅)
住所:島根県出雲市唐川町字後野408 [MAP]
料金:参拝無料
駐車:あり
情報:HP
島根にモンサンミッシェルがあった!
【益田市】 衣毘須神社
フランス西海岸に浮かぶ小島「モンサンミッシェル」。世界遺産に登録されたワールドクラスの絶景スポットですが、実は島根にも“山陰のモンサンミッシェル”と呼ばれる場所があることをご存知でしょうか?それがここ、益田市の沖合に浮かぶ『衣毘須神社(えびすじんじゃ)』です。紺碧の海にポツンと浮かぶ姿は、あの世界遺産を思わせる景観!
“山陰のモンサンミッシェル”があるのは益田市の小浜海岸。駐車場に車をとめ、300mほど歩くと神社の門前に到着します。ちなみに小浜海岸は、昭和を代表する日本画家・東山魁夷(ひがしやまかいい)が皇居の壁面画「朝明けの潮」のモデルとしたほどに、壮麗な海岸美が広がる場所。潮風を受けながら、石見地方特有の赤屋根の家並みを眺める、神社までの道中も清々しい!
普段は陸地と遮断された小島ですが、干潮時のみ参道が出現。弧を描くように延びる石段を上がった先では、どこまでも続く水平線がお待ちかね。ご祭神はえびす様こと事代主命(コトシロヌシノミコト)。大漁追福、商売繁盛、五穀豊穣の神様として、古くから崇敬を集めてきました。
あと、小島の山上からはネコが背中を丸めているような「猫島」も見られるので、ネコ好きはチェックしてみてくださいね!
潮の満ち引きによって参道が現れたり、白波を受けてなお不動の様子が神秘的だったり。訪れるタイミングによって、異なる景観が楽しめるのも『衣毘須神社』が“山陰のモンサンミッシェル”と呼ばれる理由なのかもしれませんね。
島へ参拝したい方は、お出かけ前に気象庁HPの潮位表を確認してから向かいましょう!
※気象庁HPの潮位表衣毘須神社
電話:0856-22-7120(益田市観光協会)
住所:島根県益田市小浜町630 [MAP]
料金:参拝無料
営業:周辺自由
駐車:5台
情報:HP(益田市観光協会)
スピード減速は不可避!オンリーワンの道路標示
【吉賀町】あっ!の道路標示
「吉賀町に唯一無二の道路標示」があるらしい。そんな情報を聞きつけて、山口県との県境に位置する吉賀町へやってきました!清流・高津川が流れ、石見神楽をはじめとする古き良き文化が今もなお息づく町。かつては参勤交代の古道、津和野街道沿いにある宿場町として栄えた場所です。
情報によると、ウワサの道路標示は旧津和野街道、現在の県道にあって、見つけた瞬間、叫ばずにはいられないらしい(どういうこと?)。とにもかくにも事前情報を頼りに、車を走らせます。車窓からは川辺の涼感あふれる景色に、降り注ぐグリーンシャワー。癒やしのドライブコースですね~。
のんびり運転していると、突然現れた「あっ!」と大きく記された道路標示。思わずスピードを減速、「な、何があるの?」とスローペースに。実はこの道路標示、早めの減速を促す注意喚起の役割があるんです。というのも、道路標示の先はゆるやかな右カーブになっていて、県外からのツーリング客などが度々、速度超過で曲がり切れずに道路下へ転落する事故が相次いでいたんだそう。
「スピード落とせ」などの標示は慣れているけど、イレギュラー過ぎる「あっ!」の標示なら、「この先に何かあるの?」と、自然にスピードを落としてくれそうですね。実際、徐々にですが事故件数も減少傾向とか。事故防止への願いと、ドライバー・ツーリング客へのやさしさが詰まった道路標示、近くに来た際はチェックしてみてください!
もちろん、安全運転で!
住所:島根県鹿足郡吉賀町福川 [MAP]
番外編
【松江市】王道過ぎるスポットに伝わる珍風習の恐怖エピソード
島根県で怪談といえば、明治の文豪「小泉八雲」の話が有名ですが、実は城下町・松江にも夏の時期にピッタリなこわ〜い怪談があるのをご存知ですか?
全国に12城しかない現存天守の1つである国宝 松江城天守。現代では考えられない当時の風習によって一人の若き娘を苦しめたという噂話があります。そして、今もなおその名残から一部の地域では夏の風物詩が行われていないとか…
「盆踊らない」
戦国大名・堀尾吉晴が築いた松江城。実は築城の際にうまく積み上げられない石垣があり、工事が難航していたといいます。
そこで吉晴の家臣たちは工事成功のため、たまたま盆踊りの時季だったことから、城下で開催された盆踊り大会の中で一番美しく、踊りのうまい娘を捕らえて、生きたまま人柱にしてしまいました。
松江城を築いた堀尾吉晴。
その後、石垣は無事に積み上げることができましたが、何の罪もない娘を人柱にした祟りか、相次いで城主たちが謎の最期を迎えます。
まずは堀尾吉晴とその息子である堀尾忠氏。城の完成前に息子の忠氏が27歳で病死、吉晴も城の完成後間もなく死去しました。
その後、三代目の堀尾忠晴も跡継ぎがいないまま33歳という若さで死去し、あれよあれよという間に堀尾家は御家断絶となりました。
次に城主となった京極忠高もわずか3年で逝去。こちらも跡継ぎがおらず一代で御家断絶という何とも悲しい末路となりました。
「コノシロ伝説」
江戸時代前期の大名・松平直政。
後に松平直政が城主になると美しい娘の亡霊が天守の最上階に現れるようになり、松平直政をとても悩ませました。
そしてある時、松平直政は思い切って決心し、「お前は何者だ?」と娘の亡霊に尋ねると「この城の主だ。」と答えました。
松平直政は頭を捻らせて策を練り「この城」と魚のコノシロをかけて、宍道湖で獲れたコノシロを供えたところ、亡霊は二度とあらわれなくなりました。
松江城にまつわるこわーい怪談いかがでしたか?人柱という風習が本当にあったかどうかは皆さんのご想像次第。しかし、松江城近くの一部地域では盆踊りが行われると大地震によって城下に災いがあるとされ、いまでも盆踊りが行われていないようです。
※こちらの記事は2024年8月公開
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この記事を書いた編集人Editor
地元情報誌「ラズダ」編集部みずっち
愛知→東京→大阪→山陰へ。約2週間ごとに坊主頭にしてます。家族から顔色が悪いと心配されるので髭を剃るのはやめました。