これが私のしまねで生きる道

女性って結婚、妊娠、出産、育児…状況によって転職するなど、変化・変化の連続!
流れに身を任せながら強く&美しく生きています。
今回は結婚を機に島根に来た2人の女性を紹介します。

これが私のしまねで生きる道
これが私のしまねで生きる道

邑南町で1日1組1棟貸しの宿「 日貫一日(ひぬい ひとひ) 」の管理をしている湯浅那奈さんは約2年前にIターンしてきた。夫の孝史さんとは東京で知り合い結婚。「地元の島根に帰りたい」と言われたものの、華やかなアパレル業界から、邑南町の山里で暮らすことになかなか踏ん切りがつかなかった。そこで移住のステップも兼ね、お隣の広島県へ異動願いを出し、2年間過ごした。「邑南町で宿を新しく立ち上げるから、そこで仕事してほしいな」という夫の言葉に腹をくくり、邑南町へ引っ越した。

田舎カルチャーショック

 邑南町での暮らしは驚きの連続。コンビニがない。スーパーが早く閉まる。夜が真っ暗すぎ…。さらに地域の人が家の玄関の戸をガラッと開けて普通に部屋へ入ってくることもしばしば…。「こちらは地元の人=大きな親戚という感覚なのです。義母から『遠くの親戚より近くの他人が大切なんだよ』と言われたことが、最近よく分かるようになりました」と話す湯浅さん。都会は、人は多いが気の合う特定の人しか関わらない。しかし邑南町は町の全ての人と関わっていくのだ。犬の散歩中に出会った人と立ち話をしたり、近所の家で夕ご飯を食べて風呂まで入ったり。ゆっくりとした時間の中で人との濃厚な関わりが、だんだん楽しくなってきた。
 最近、宿の庭に畑をつくり、91歳のおじいさんから野菜づくりを教わっている。これまでスーパーに売られている野菜しか知らなかったが、大地からしっかり育った野菜のおいしさにやみつき。今後、その野菜は宿の朝食にも出す予定だ。また自家焙煎の珈琲やクッキーなどお土産品を開発中。宿を通し、地域にゆるりと馴染んできている。

これが私のしまねで生きる道
これが私のしまねで生きる道
これが私のしまねで生きる道

東京のIT企業でシステムエンジニアをしながら、子育てに奮闘していた石飛裕子さん。千葉での暮らしは時間に追われる生活だった。出産をして育休をとったものの、保育園は待機児童待ち。仕事復帰のため、保育園に入れる地区に引っ越した。しかし、1駅隣にある保育園まで自転車で送り、そこから電車で東京の会社へ1時間半かけて通勤。時短で働けたものの、仕事量が減るわけではない。どう効率的に仕事や家事をこなすか―そればかり考えていた。
 忙しすぎる日々の中、せめて環境を良くしようとマイホームを考えたが、住宅ローンが重くのしかかることが分かった。その時「いつかは地元に戻りたい」と言っていた夫の言葉が頭をよぎり「今だったら島根に帰ってもいいよ」と口にしていた自分がいた。生活に疲れ果てていたのだ。
 早速、ふるさと島根定住財団主催の相談会へ行き転職の相談を行った。はじめに夫の俊和さんの転職先が決まり、すぐに裕子さんの仕事先も決まった。

夢のマイホームが現実に!

 今は夫の実家で同居し、道を挟んだ向かいにマイホームを建設中である。生活習慣のギャップといえば「車」だった。島根は車に乗れないと移動手段が激減する。まずは運転免許を取得。そうすると子どもを近所の保育園へ送り、そのまま会社へもスムーズに行くことができた。今では地区のバレーボールチームに入り、ママ友との繋がりもできてきた。そして暮らしに慣れ、時間にゆとりができると体の力が抜けるようになってきた。
 「しっかりしなきゃ! と焦っていましたが、山や川、海がある環境の中で子どもと一緒に散歩していると、自然と心身が緩んできました」と裕子さん。移住して生活を一変したことで笑顔で楽しく育児ができるようになった。

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