生き方改革

地元=母の存在
側にいてあげたかった

 母子家庭で育った河村香葉子さんは母の厳しさや強さ、優しさに包まれて育ち、いつしか母が理想の女性像になっていた。そんな中、兄姉が順に家を出ていく時の寂しそうな母の姿を見て、自分が側にいてあげようと強く思う。高校時代には夢をもつ友人や先生など人生の財産となる出会いがあった。卒業後は県外の大学へ進学し、憧れていた青年海外協力隊に入り、モンゴルへ行くことに。もちろん派遣が終わったら、地元の松江市で暮らす予定にしていた。

河村さんの移活

やりたいことにチャレンジして
地元に戻ることを決めていた

 高校時にザックリとした「人生設計」を立てていた河村さん。夢は「母のような母親になること!」。 母の近くで暮らし、22歳までに結婚し、3人の子どもを産む―など、「地元で暮らす」ことが大前提だった。将来必ず戻ってくると決めていたからこそ『自分のやりたいことをやろう!』と考え、青年海外協力隊にもチャレンジ。モンゴルで出会いお付き合いを始めた彼(現夫)にも、当初から「地元で暮らす」宣言をしていた。

河村さんの移住ストーリー

case01

悩み期の暮らし

  • 悩み01母親のもとで
    暮らしたかった
    兄や姉が順に巣立ち、家を出る。女手ひとつで3人の子どもを育てた母への恩返しとして、自分が近くにいようと思った。
  • 悩み02結婚するまでに
    好きなことをしたかった
    人生設計の中で、生まれ育った地元で素敵な母親になることが夢だった。まずは経験を積もうと県外の大学へ進学。海外へ行き、やりたいことをやりきり、地元に戻りたかった。

case01

移住の決め手

住み慣れた地元が
一番安心できる場所

  • 01海外に出て分かる日本の良さ 青年海外協力隊でモンゴルへ行き、食事や衛生面でも日本の住みやすさを感じた。日本に戻るときは、必ず地元へ帰ろうと思っていた。
  • 02「地元」という安心感生まれ育った松江市は自然もあり、都会過ぎず、必要なものは揃っている。暮らしやすい地域だった。生まれ育った土地がやっぱり心地よい。

生き方改革

モンゴルでの経験から
子どもと関わる仕事に

モンゴルで子どもたちに日本語を教えていた河村さん。松江に戻り子どもと関わる仕事を探し、「学童」を選んだ。現在、勤めている「さんびる」は学童のほか、スポーツや塾など手広く行っている。結婚し出産、産休を終え、仕事を再スタートしたところだ。

生き方改革

河村さんが利用した制度

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