株式会社プロビズモの求人情報
「成長を実感できる会社」がキーワード。 仲間と共にスキルを磨いてステップアップを重ねよう。
ソフトウェア開発(島根県 出雲市)
約17万人の人口を抱える島根県で2番目に大きな市、出雲市。その中心部にあるJR出雲市駅から徒歩わずか1分という好立地に、株式会社プロビズモの出雲本社があります。
2020年5月に本社社屋を移転したばかりの、真新しい3階建てのオフィスビル。内装も個性的で、フロアごと、部屋ごとに壁紙や雰囲気をガラリと変えるなど、遊び心溢れる職場となっています。
現在、出雲、東京、大阪、広島、倉吉(鳥取県)に5つの拠点を持つプロビズモですが、ここ出雲本社には約80名のエンジニアが在籍しており、広々とした綺麗なオフィスで日々システム開発に勤しんでいます。
まずは代表取締役社長の金子寛児さん、代表取締役専務の女鹿田晃和さんのお二人にお話を伺いました。
Q.主な事業内容は?
主にシステム開発を行っている会社です。大手クライアントを中心としたWebシステムの構築や、サーバ・ネットワーク等の設計構築などを手掛けております。 なかでも特徴的なのは、中学校、高等学校向けの教務システムでしょうか。島根県内の公立高等学校や、全国の私立中学校・高等学校合わせて100校を超える導入実績があります。
教育現場の様々なニーズに柔軟に対応でき、見やすく操作しやすい同社の教務システムは、教職員の方々からも好評を得ています。そもそも学校向けのシステムの開発に着目したのは、どのような経緯からだったのでしょうか。
出雲市内のとある私立高等学校さんが教務システムの入れ替えをされるということで、弊社に声がかかったんです。最初はそれがきっかけで開発に着手したのですが、その後既に県内の公立高等学校に導入済みのパッケージシステムを開発している会社が経営破綻したのを受けて、弊社がその開発を引き継ぐ話が浮上しまして。当時、リーマンショックの直後でしたので、運よく文教の業態に入り込むチャンスを掴んだ、という感じです。
不景気の煽りを受けて経営が破綻する企業もあれば、それをむしろチャンスに変えて飛躍する企業もある。プロビズモはこのとき、後者の道を歩み始めることに成功します。
実はこのとき弊社も、リーマンショックの影響を強く受けていました。リーマンショック以前は、大手システムベンダーさんの二次請け、三次請けという形態で多くの仕事をもらえていましたし、それに応じて社員の人数もどんどん増やしていたのですが、リーマンショック以後は仕事が急に減りましてね。当時100人以上いた社員のうち半分は仕事がないような状況に陥りました。
そこで考えたのが、今こそ自社開発のシステムを作ろうではないか、ということでした。それが学校向け教務システムのパッケージソフト開発の始まりだったんです。
なるほど、手が空いてしまった人材をうまく活用して、自社の強みとなる新たな製品の開発に乗り出した、ということですね。
あとは得意分野を作ろうじゃないか、ということで、島根県下でこれから火が付きそうだったRuby言語による開発にいち早く着手したり、大手メーカーが作っている監視系のパッケージのパートナーになるなど、ひたすら自社の強みを確立することに力を注ぎました。
不況という逆境の中、戦略的な事業展開で競争力を高めることに成功したプロビズモ。結果として、2次請け、3次請けが多かった受注形態も変わり、現在では約6割の業務がエンドユーザーとの直接取引になったとのこと。
これまでの経験から、急激な成長ばかりを目指すのではなく、緩やかに、しかし着実な成長を、というポリシーのもと、毎年10%弱の売上高の延びを継続して達成しているそうです。
Q.御社の掲げる経営理念「成長を実感できる会社でありたい」について、詳しくお聞かせください。
弊社では多様な業界のクライアント様とお取引がありますので、様々な仕事を経験できます。また、先ほどお話ししたようにエンドユーザーとの直接取引も多いので、開発の上流工程に携わることのできる機会も多くあり、成長できるチャンスがあります。それに、入社年次に囚われず、実力に応じて的確に評価が受けられるような人事評価制度も整備していますので、やった分だけ評価される、個々に自分の成長を実感できる会社であると自負しております。
このとき金子社長が語った「成長」というキーワードが、このあとの社員の皆さんに対するインタビューでも頻繁に登場します。それだけ社員一人ひとりが自らの「成長」を強く意識しながら仕事にあたっているということなのでしょう。
Q.短期間で社員が飛躍的に「成長」した事例があれば教えてください。
そうですね、例えば女鹿田専務もそうじゃないかな。前職は組込み系といって、エンジニアではあるけれど、かなり専門的な開発の世界に長くいたので、弊社での開発はある意味キャリアチェンジになるんですが、弊社で約10年経験を積んだのちに経営に参画しています。
女鹿田専務は元々島根県出身で、Uターンという形でプロビズモに中途入社し、現在入社11年目とのこと。
私は前職で20年ほど組込み系システムのエンジニアをやっていました。私以外にも、組込み系・制御系からのキャリアチェンジで弊社へ入社したエンジニアが何名かおりますし、なかには数年で課長に昇進した者もいます。そのような形でキャリアチェンジに成功して、立派に活躍してくれている社員が多いのも弊社の特徴のひとつかもしれません。
社歴の長さに関わらず、成果を出した分だけ評価に反映され、キャリアを積み重ねていけるのがプロビズモの社風と言えそうです。
Q.社長や専務を「さん付け」で呼ぶ、というのは本当ですか?
はい、本当です。「金子社長」ではなく、「金子さん」と名字で呼んでいますね。私もほとんどの社員から「女鹿田さん」と呼ばれています。風通しのよい自由な社風に、というのが弊社のモットーでもありまして、敢えてそうしているんです。
役職の垣根を越えて、自由に意見を言い合える職場環境を。創業から20年を迎える今、その社風は着実に定着を見せています。
社員旅行などの全社イベントも、毎回90%を超える参加率なのがひとつの自慢でもあるんですよ。社員同士のコミュニケーションはこれからも大切にしたいですね。
続いてお話を伺ったのは、先ほどの女鹿田専務のお話でも登場した“異業種からのジョブチェンジから数年で課長に就任した”、天野裕介さんです。
Q.入社のきっかけは?
私は大学院卒業後、関東にある半導体の会社で13年働いていました。私も妻も島根県出身なんですが、二人とも島根のことが好きだったんで、いつか島根に帰りたいねってずっと話していたんです。その勤め先が外資系企業に買収された時に、これからのキャリアパスが見え辛くなり、不安も出てきたので、2人の子どもたちの進学が重なるタイミングでUターンを決意しました。
エンジニア、という共通項はあるものの、組込み系とWebアプリケーションの開発とでは色々と異なる部分が多い、と語る天野さん。
Uターンとはいえ、生活の拠点を変えることとジョブチェンジを同時に行ったことで、大変な面もあったのではないでしょうか。
そうですね、入社後いきなり未経験のWebアプリ開発を担当することになって、最初は苦労しました。昼休みにランチ勉強会とかやっているので、そこに参加して、若い子たちに交じって教えてもらったり、あとは自分で家でも勉強したりしました。その時の苦労があってこそ、今があるなと感じます。
Q.未経験の分野に転職してからのスピード昇進ですが、ご自身のなかでターニングポイントはありましたか?
私はAIとかIoTとか、そういった分野に関わる仕事がしたい、ということを転職の時からずっと言い続けていたんですね。そうしたら実際に営業の方がAIの仕事を取ってきてくれて、自分に任せてもらえることになって。もちろん初めての業務なので色々大変でしたけど、必死に食らいついたことで成長できたかなと思います。
個人としてだけでなく、会社としても未経験の領域に果敢に挑戦した天野さん。そのような姿勢と努力の成果が認められ、転職から4年で課長への昇進を果たします。
Q.管理職になって、メンバーの教育や成長にどのように関わっていますか?
思い切ってみんなに任せる、ということを大切にしています。任せないとできるようにならないし、かといってある程度自分も関わらないと最初からできるわけではないし、というバランスの難しさがありますね。
色々と試行錯誤しながらやっています。元々消極的でお客様と話すのが苦手だった人に、思い切ってやりとりを任せてみたところ、積極的に会話できるようになったり。そういう成長した姿を見ると嬉しいですし、管理職としてやりがいを感じます。
部下の成長について嬉しそうに語る天野さんの姿からは、管理職になって1年とは思えないほどの貫禄が感じられました。
Q.神奈川県からのUターンということですが、島根での生活と比較してどうですか?
通勤がとても楽になりましたね。満員電車に揺られて片道1時間半かかっていたのが、今は車で10分ですから。あとは土地の値段が都会の10分の1くらいということで、念願のマイホームを手に入れました。ちょうど私の実家と妻の実家の中間地点くらいに建てたので、両親のサポートも受けやすく、両親も喜んでくれています。
休日は下のお子さんの野球の練習につきっきりという天野さん。二十数名いるチームの子どもたち全員が自分の子どものようにかわいいとか。
買い物する店の数とかでは神奈川より少なくて不便に感じる部分もなくはないですけど、島根に来て子どもたちが楽しそうにしている様子を見ていると、やっぱり帰ってきて良かったなと思います。
続いて、もう1名のエンジニアの方にもお話を伺いました。
天野さんと同じくUターン転職によってプロビズモに入社した原昌弘さんは、前職で大阪のIT企業に勤めていましたが、高齢になりつつあるご両親の近くで暮らせたらと、4年前に故郷である出雲に帰りました。
Q.転職先としてプロビズモを選んだ理由は?
人事評価制度がきちんと整備されていた点があります。前職では自分のキャリアアップの道筋が描きにくくて、この先どんなスキルを強化していけばよいのか迷いがあって。その点、プロビズモではスキルの分類や評価の段階が明確に決められていたので、自分の目標が立てやすく、定量的な評価をしてもらえると確信しました。
一言でITエンジニアと言っても、専門性や身に着けるスキルの幅はとても広く、自身の強みや進むべき方向性について悩みを抱えるエンジニアも多いといいます。原さんはプロビズモの人事評価制度を道しるべとして自身のキャリアプランを描き直し、昨年に「スペシャリスト」と呼ばれるワンランク上の等級に昇格を果たしました。
Q.現在はどのようなお仕事をされていますか?
温度や湿度などのデータを蓄積して利活用するようなサービスのプラットフォーム構築に携わっています。取り扱っているのは、一般的な家庭内の温度・湿度や照度といったデータですね。
これまでに知ることのなかった業界の知識や技術に触れ、新しい価値観や概念を自分のなかに取り入れていくプロセスで、自身の成長を感じると語る原さん。ここでもまた「成長」というキーワードが出ました。
Q.今後挑戦したい開発や、やってみたい仕事はありますか?
3つあるんですが、まず1つは機械学習・AIの分野のスキルを高めること。今ITOC(しまねソフト研究開発センター)のセミナーなどに参加して勉強中です。
2つ目は、アジャイル開発を島根に広めること。アジャイル開発というのは、お客様と開発者で話しながら、いきなりプロダクトをつくっていく開発手法です。従来のウォーターフォール開発と比べて、要件定義や詳細設計フェーズをお客様と一緒になってまわしていくので、非常に効率的に進められます。お客様と一緒にものづくりをやっている実感が得られて、面白いんです。
3つ目は、品質を向上させること。ISO9001の取得を目指した委員会活動に参加しています。お客様により品質の高いプロダクトを届けるために学んでいる最中です。
ご自身の今後の3つの目標について、きっぱりと宣言された原さん。自分が今後進む道について日頃から十分に整理されているからこそ、よどみない言葉としてまっすぐに伝わってきます。
経営陣の方々、社員の方々へのインタビューを通じて、プロビズモが抱く「成長を実感できる会社でありたい」という理念が社員一人ひとりにまで深く浸透していることがはっきりと伺えました。
それぞれが自分の進むべき方向性について考え、共に励まし合いながら上を目指してさらに向上していく。島根で暮らしながら最先端の技術を身に着け、磨くことのできる環境がここにあります。
先輩や同僚と共に自身の成長を実感したい方は、ぜひプロビズモにJOINしてください。
(2020年9月取材)