亀谷窯業有限会社の求人情報
伝統と革新が生み出す新しい石州瓦の価値。
日本の手仕事の素晴らしさを伝え続け、世界へ。
陶器瓦製造販売(島根県 浜田市)
島根県西部地方を中心に今もなお多く見られる、赤褐色の瓦屋根の民家。この独特な色を出しているのが、石州瓦と呼ばれる瓦です。古くから石見地方の美しい景観の代名詞として愛されてきた石州瓦ですが、最近ではその需要が減りつつあり、少しずつ生産量も減少しています。
そのため、瓦産業は全体的に振るわず、廃業に追い込まれる業者が続出しました。そんな中、瓦産業に新風を巻き起こし、新しい瓦製品の創作と販路拡大を図っている老舗瓦製造会社が存在します。創業は江戸時代である1806年、今年で214年目を迎える、亀谷窯業有限会社です。
亀谷窯業がつくる瓦は「本来待瓦(ほんきまちかわら)」と銘打ち、大量生産によるコストカットが主流となりつつある瓦業界の中で、あくまで職人の手仕事による「本物の石州瓦づくり」にこだわり続けています。まず最初にお話を伺ったのは、9代目社長である亀谷典生さん。
Q.亀谷社長は元々瓦職人だったのですか?
いえ、私の前職はMR(=医薬情報担当者、製薬会社の営業職)です。完全に異業種ですよね。それまでは家族で東京で暮らしていたのですが、ちょうど勤めていた製薬会社に合併の話が持ち上がって。これからの暮らしを考えた時に、喘息持ちだった子どものためにも空気のきれいな所で暮らしたい、という思いもありました。そこで妻の生まれ故郷である島根県浜田市への移住を決意し、妻の実家の家業である亀谷窯業に入社しました。
なんと、製薬会社営業職からの転職!伝統工芸品を取り扱う今の仕事とは真逆にあたるほどの異業種ですね。
最初はゼロから瓦づくりを学びました。私はあまり手先が器用な方ではないんですが、これからこの会社で働いていくには、まずはすべての工程を自分が経験しなければ、と思っていましたので。
亀谷社長が入社された当時は、奥様の父親である先代の社長が会社を経営しておられた時代。元々瓦業界自体が職人の世界で、経験年数と技術力がなければ相手にされないような厳しい世界であったことは容易に想像ができます。そのような世界に経験ゼロから飛び込んでいったわけですから、きっと様々な苦労を経験されたことでしょう。
Q.亀谷窯業でつくる石州瓦の特徴を教えてください。
いくつか特徴がありますが、まずはこの赤褐色の色味でしょうね。これは高温焼成に耐えうる厳選した陶土に、島根県奥出雲町で採れる来待石という種類の石を使った釉薬をかけて、1350度という超高温で焼きしめることではじめて発色する色なんです。
亀谷社長によると、ひと口に石州瓦といっても、製造業者によって少しずつ作り方が異なるのだとか。瓦を大量生産して製造コストを下げようと思えば、焼成温度を下げればいいのですが、それでは石州瓦本来の赤褐色が出ないため、釉薬に他の成分を混ぜて赤くする、というのが一般的だそうです。
うちは「来待をやめるなら瓦屋をやめる」というのを経営理念に掲げていましてね。来待石も耐火性の高い陶土も今はかなり稀少になっているので、来待釉薬だけで石州瓦を焼いているのは、ついに亀谷窯業だけになりました。今後もあくまで伝統的な製法にこだわり続けます。
高温焼成にはデメリットもあり、瓦が反りやすくなったり、ひびができやすくなったりするそうですが、それをできるだけなくすように焼き上げるのがプロの職人の技。大量生産できないからこそ価値が高く、品質にも明確な差が生まれるといいます。
超高温で焼きしめることで、水に強く、塩害にも強い丈夫な瓦になります。しかも割れにくい。だから本当に長持ちする瓦なんですが、長持ちするとリピートが生まれないので、商売にはならないんですよ(笑)。
言うまでもなく、瓦は家の屋根を守るもの。雨をしのぎ、潮風の塩分にも耐えうる強いものが良いのは当然ですが、品質が良いからこそ追加注文に繋がらないというのは悩ましいものです。しかしそこに目を付けた9代目社長は、この瓦を使った新しいビジネスに進出します。
私が社長をやるようになってから、石州瓦と同じ素材を使った食器やタイルなどの新しい商品を作るようになりました。それまでずっと瓦づくり一本でやってきた会社でしたから、それは激しい周囲の反対に遭いました。
創業から約200年もの間、瓦づくりだけで歴史を重ねてきた会社に、新社長が仕掛けた新しい経営戦略。それは単に新しい事業を始めただけでなく、瓦製造業の生き残りをかけた大きな挑戦でもありました。
瓦のお客様は、どうしても単発になってしまいます。建物を建てるときに大量に発注が来て、まとめて作って納めて終わり。何しろ耐久性が高いですので、どんなに気に入っていただいても追加注文にはつながりません。そこで私が考えたのは、お皿や器であれば、使っているうちに落として割れてしまうこともあるので、リピートに繋がるのでは、ということでした。
そんなにうまくいくわけがない、と周囲から反対を受けつつも、石州瓦の素材で作る上質で味わい深い食器やタイルの売り先を求めて、全国を飛び回ったという亀谷社長。
少しずつですが、瓦の製法で作った食器の丈夫さ、見た目の美しさ、普通の陶器では出せない独特の味わいなどの魅力を知っていただき、取り扱ってくださる取引先を増やしていきました。大量生産ではなく、オーダーメイドでお客様の要望に柔軟に対応できるのがうちの強みですかね。最近では全国からの問合せもどんどん増えています。オンラインショップでの売れ行きも好調です。
今では瓦部門、食器部門、タイル部門と3つの事業部門に分かれ、それぞれが同じくらいの割合で売上を立てている、とのこと。
最近のうちのタイル部門の仕事の中でも代表的なものが、ザ・リッツ・カールトン東京で採用された瓦タイルの壁面です。これは東京のデザイン会社とのコラボレーションによって実現しました。
リッツ・カールトンといえば、世界中にその名を馳せるラグジュアリーホテルの代表格。そのリッツ・カールトン東京の内装に、亀谷窯業製の瓦タイルが敷き詰められ、日本を代表するホテルとしての重厚感と品格を見事に演出しています。
あの仕事は正直、本当に大変でした。タイルはすべて手作りですが、1本1本のタイルを敷き詰めた時に隙間が開かないように、寸法をビシッと揃える必要があるんですよ。釉薬も特注だったので、納得のいく焼き上がりになるまで何度もテストを繰り返して。
余程手間がかかったのでしょう、苦い表情で当時の日々を振り返る亀谷社長。しかしその確かな仕事ぶりが高く評価され、次の大きな仕事の紹介にも繋がったとか。
時代の変化と共に生産量がどんどん減っていく一方であった石州瓦が、亀谷窯業の果敢な挑戦によって、新たな価値を生む商材へと変化を遂げつつあります。その評判は口コミで広がり、今では全国から、さらには海外からも亀谷窯業への仕事の依頼が舞い込むようになりました。
これからも本物の石州瓦を作り続け、守っていきます。そのためにも、タイルや食器の事業で販路開拓を図りつつ、安定的に利益を生むことのできる経営は不可欠だと思っています。そのために一緒に営業に回れる人材や、瓦製品の製造を任せられる職人の育成は急務ですね。
これまでの仕事が評価され、全国から依頼や問い合わせが増えて日々多忙を極める亀谷社長。そんな亀谷社長を大きく支える若い才能が、今この会社で開花しつつあります。
亀谷窯業で唯一の「鬼師」を務める大橋佑樹さんは、4年前にUターンという形で異業種からの転職で入社された、若きホープです。
Q.「鬼師」とはどんな役割なのですか?
鬼師の「鬼」とは、鬼瓦の鬼のことです。日本の家の屋根って、瓦の端っこには必ず鬼瓦がありますよね。家を守る役割や、水の侵入を防ぐ役割などあるんですが、石州瓦の屋根にはなくてはならないものです。瓦職人の中でも、一部の限られた職人だけがこの鬼瓦を作ることができるわけですが、どういうわけだかまだ経験の浅い自分がその役割を任せてもらうことになりまして。
すべての瓦職人に鬼師が務まるわけでは当然なく、創意工夫する才能や高い技術が要求される職種。大橋さんは亀谷社長にその可能性を見込まれたということなのでしょう。
Q.入社のきっかけは?
僕は最初、大阪のファッション関係の専門学校を卒業して、アパレル系の会社に就職したんですよ。元々ものづくりが好きで、本当は洋服を作る方の仕事がしたくて入社したんですが、会社の方針で接客販売の方に配置されてしまって。それでもやっぱりものづくりがしたい、という気持ちが沸々と湧いてきまして、地元に戻ることを決めました。
地元島根でものづくりに関われる仕事はないか、と探していたところ、亀谷窯業の存在を知った大橋さん。当時「窯業」という言葉を聞いて、瓦をつくる仕事だというイメージすら湧かないくらい、全く知らない世界だったそうですが、まずはやってみようと決めて入社しました。
入社したころ最初に任されたのは、箸置きを600個ほど作る仕事でした。型抜きっていう工程があるのですが、瓦づくりの基礎となる重要な工程で、見た目よりかなり難しいんです。石膏型から綺麗に抜く、というだけでもなかなか上手くできないので、はじめは苦労しました。
大橋さんによると、原料となる粘土の固さやその日の温度・湿度によっても出来栄えが変わるため、そのあたりの感覚的な微調整が難しいとのこと。比較的難易度の低い作業から始め、徐々にミリ単位の細かい調整が必要な仕事を任されるようになったとか。
Q.「鬼師」を名乗るようになったのはいつから?
入社3年目くらいのときでしたかね、社長と一緒に大阪の展示会に出展する機会がありまして、名刺を作ってもらったんです。その時受け取った名刺を見たら、「鬼師 大橋佑樹」と書いてあって。それを見て初めて、自分は鬼師になったんだなって知りました(笑)。
瓦職人の中でも一部の人間しか名乗れない「鬼師」の称号を与えられた大橋さん。経験がものをいう職人の世界で奮闘しながらも、念願のものづくりの世界で生きることができ、仕事は充実しているそうです。
Q.仕事のやりがいを感じる瞬間は?
うちはあくまで伝統的な製法にこだわっているので、うちでしか作れないようなものをオーダーしていただき、それを作って納めたときの達成感はすごく大きいですね。例えば大昔に建てられた神社仏閣の瓦の復元とか。大手の瓦業者さんは、大変なのでなかなか手を出さない分野なんですが、うちでは引き受けるので、社長が全国から仕事の依頼を受けてきます。
中には300年近く前に建てられた神社の瓦、しかも原形をとどめないほどにボロボロに劣化したものを亀谷社長が持ち帰り、それだけを頼りに原形を想像しながら、大橋さんが再現して作るような仕事もあるとか。イメージに近づくまで幾度も試作を繰り返す必要があり、かなり根気のいる作業になるようです。
単に普通の瓦を作るだけの仕事では、やはり大量生産でコストを下げることでしか競争できなくなりますよね。でもうちでは社長がニッチな仕事をどんどん引き受けてこられるので、それに柔軟に対応することで付加価値が生まれて、お客様のリピートに繋がっていると思います。
何でも、1点ものの特注品、などのオーダーにも応えているとか。亀谷窯業のこだわりや品質の確かさに絶大な信頼が寄せられている証です。
Q.大阪から島根に帰ってきて生活は変わりましたか?
元々地元だからっていうのもあると思いますけど、大阪より暮らしやすいですね。大阪はせわしないところがあったので。こちらには海も山もあって、のんびりしているところがいいです。実はもうすぐ結婚の予定がありまして・・・最近はそっちの用事でも忙しいです。
仕事の順調さもさることながら、プライベートも幸せで充実した様子の大橋さん。経験年数が重要視される伝統工芸の会社に飛び込んで、若いながらも職人の世界で明るく奮闘している姿は、島根の瓦業界の明るい未来を予見させます。
Q.職人の世界と聞くと、残業など多いイメージがありますが?
もちろん特に忙しい時期は残業もありますが、それでも19時くらいには上がる人が多いですよ。有休も取得できますし、割とみんな積極的に取得しています。職人だから休めない、とかはありませんので、そこは心配いらないと思います。
働き方改革が叫ばれるようになった昨今、就職・転職の際の労働条件は特に気になる方が多いと思われますが、ここ亀谷窯業でも働き方改革は着実に進んでいます。給与・賞与などの待遇面も、年功序列ではなく実力主義であると、亀谷社長も話されていました。
Q.どんな方に入社してもらいたいですか?
特に若い人から見れば、瓦製造ってどんなことをやるのか、将来性はあるのかと不安になるかもしれませんが、ものづくりが好きで、ひとつのことに夢中になれるような人であれば、この仕事は向いていると思います。根気がいりますので、逆境に燃える自分のようなタイプの人だとさらに向いているかと。
うちはただ屋根の瓦を作るだけでなく、それ以外のタイルや食器の分野にも力を入れているので、最近どんどんいただく仕事の幅が広がっています。これからもっと忙しくなっていきますので、ぜひ新しい方を迎えて、一緒に会社を大きくしていきたいです。
創業200年という長い歴史の中で受け継がれてきた、手間暇かかる本物の石州瓦づくりを着実に残しながらも、新しいビジネスにも挑戦している亀谷窯業。伝統と革新、この2つを共に大切にしながら、ここ浜田の地から世界へ羽ばたく企業へと大きく成長していくであろう勢いを感じずにはいられません。
やはり基本は「ものづくり」に対する好奇心と情熱。伝統を守り伝えながら、同時に新しいものを世に生み出していく、この素晴らしい仕事の次なる担い手を、亀谷窯業は求めています。
これまでの経験や職歴を問わず、大橋さんのように「ものづくりがしたい」という想いを胸に秘めている方は、ぜひ一度亀谷窯業の工場を訪れてみてください。あなたの人生が変わる出会いとなるかもしれません。
(2020年2月取材)