自然と共に生活を営み
ひたむきに蕎麦を打つ。

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日本中の蕎麦を食べ歩くうちに出合った、
奥出雲町の在来種「横田小そば」。
「いつか蕎麦屋になりたい」という夢を
奥出雲町で叶えて、山中さんは
今日も蕎麦打ちに精を出す。
山中さんを惹きつけた横田小そばの魅力とは? 
今の暮らしは? 県境のまち、奥出雲町を訪ねた。

在来種の蕎麦を求めて奥出雲町へ
ひょんなことから自らも蕎麦屋へ。

蕎麦が好きで、特に、その土地で昔から作られてきた「在来種」の蕎麦に魅了されて全国を巡っていた山中さん。奥出雲町の在来種「横田小そば」もお気に入りの一つで、奥出雲町内の蕎麦屋にもよく訪れていた。そんなある日、度々通うお店の主人から、「そんなに好きなら、打ってみるか」と言われる。

蕎麦好きが高じて「いつか蕎麦屋ができたら」と思っていた山中さん。初めて本格的な蕎麦打ちを体験して、それまで感じたことのない充実感を覚えた。ちょうど、次に進む道を探している時だったこともあり、すぐに奥出雲町へ移住する。

そもそも東京生まれ広島育ちの山中さんが蕎麦好きになったきっかけも、出雲市で食べた割子蕎麦に「こんなにおいしいものがあるんだ」と感動したことだった。その10年後に奥出雲町に移住することになるとは、つくづく島根と縁があったのだろう。

地のもののおいしさを伝えたい
栽培から製粉、蕎麦打ちまで。

それからは店を手伝いながら蕎麦打ちの修行をする日々。「自分の好きなことに挑戦できて、本当に楽しかった」と振り返る。次第に「在来種の栽培から関わって十割蕎麦を打ちたい」と思うようになり、移住後に知り合った地元の人から同じ町内で横田小そばの十割蕎麦を出していた「姫のそば ゆかり庵」を紹介される。

ゆかり庵は、稲田神社の社務所内にある全国でも珍しいお店。横田小そばをはじめ米や野菜を自家栽培し、限界まで奥出雲町産の素材にこだわっていた。奥出雲の朝晩の寒暖差にさらされて育つ作物のおいしさに感激していた山中さんは、「地のもののおいしさを伝えたい」という先代の店主の姿勢に深く共感した。

ゆかり庵に移ってからは、朝、畑や田んぼで農作業に汗を流し、午前中のうちに店に行って蕎麦を打つ。お昼の営業を終えたらまた畑に戻るという〝二足の草鞋〟生活に。土に触れ、作物を育て、おいしい蕎麦を提供する。「忙しいけど、何かをつくるというのは、サラリーマン時代とは違う喜びがありますね」と語る。

ゆかり庵で働きだして2年ほど経ったころ、真面目に頑張る山中さんに、稲田神社の祭神で縁結びの神様であるイナタヒメがほほ笑む。繁忙期に店を手伝いに来ていた地元の女性とめでたく結婚。その女性の名前は偶然、店名と同じ「ゆかり」さんだった。そして同時期に、高齢のため体力の限界を感じていた先代から「店を継いでくれないか」と持ちかけられ、山中さんは迷いながらも妻の後押しもあって二代目の店主に就任する。

今は、先代が農業をしてくれているため、山中さんは蕎麦打ちに専念。
「先代も高齢なので『無理しないで』と言っているのですが、がんばっちゃうタイプなので」と気遣い、収穫など人出のいる作業は山中さんも手伝う。

日によって変わる条件に合わせ
蕎麦と対話する喜び

「蕎麦を打っている時が一番幸せ」と笑う。「十割で打つのは本当に難しくて、100%の出来栄えで打てたことがありません」。その日の温度や湿度、さらにはソバを栽培したほ場によって粉の水の吸い方はずいぶん変わるという。山中さんが蕎麦を打つところを見せてもらった。こね鉢に向かった瞬間、話している時の親しみやすさは一変し、凛とした空気に。粉全体に水がいきわたるよう、手早く混ぜ合わせる。粉と対話しながら、全身の力を腕に乗せて生地を練っていく。ちょうどよいかたさを見極め、中の空気を押し出しながら生地を整えて、麺棒でのしていく。「ひび割れなく均一にのせた時は『よし!』と思います」。生地を丁寧に折りたたみ、タンタンタンと切っていく。十割蕎麦を打ち始めて3年。「ようやく80%くらいの出来栄えの蕎麦が打てるようになりました。蕎麦打ちは奥深い。だから、おもしろい」とうなずく。横田小そばは「畑で栽培している時から、蕎麦の香りが強く立つ」といい、その横田小そばで打った十割蕎麦は、香り高くて噛めば噛むほど甘味が増すのが特長だ。一番人気は、三段割子と自家栽培した天日干し米のおにぎり、旬の素材を使った料理が並ぶ「そば御膳」。平日は40食、週末は60食限定で供する。かつての山中さんのように広島県など県外から足しげく通う常連客も多く、平日でも行列ができる人気ぶりだ。

木々に囲まれて暮らす清々しさ
縁側に座って四季折々の景色を楽しむ。

移住時には独身で一人暮らしをしていた山中さん。2020年4月には子どもが生まれ、今は妻と娘の3人で暮らす。すくすくと元気に育つ長女の姿に目を細めながら「次の世代のためにも頑張らないと」と気を引き締める。

「そういえば…」と教えてくれたのは、移住して1カ月経った頃に、実家に帰省した時の話。「住んでいた時は全然気にならなかったのに、車の音がうるさいし、排気ガスが気になって息苦しく感じてしまって。都市部での生活と、たくさんの木々に囲まれて暮らすのと、こんなに違うんだって気付きました」と語る。

ゆかり庵店主には、稲田神社を管理する宮守という役目も与えられる。早朝に神社を開け、境内を掃き清める。夏には庭の草を刈り、冬は雪かきして参拝客を迎える。一時は草が伸び放題、社殿の老朽化も進み、神社の存続が危ぶまれていたという稲田神社は、ゆかり庵の歴代店主の手入れにより、美しく保たれている。

ゆかり庵の縁側からは神社の境内が一望できる。山中さんは「時間のある時、縁側に座ってコーヒーを飲むんです。ここから見る紅葉はどこよりもきれい。ちょっと雪が積もった景色は風情があるし、新緑の季節もまた最高で、たくさんの野鳥がきれいなさえずりを聞かせてくれます。夏には窓からオニヤンマが入ってくるんですよ」。蕎麦を打ちながら、奥出雲の豊かな恵みを感じている。

山中将道さん
山中将道さん
東京都生まれ。高校時代に家族で広島県に引っ越し、大学卒業後に広島県で就職。営業マンとして全国を訪れ、蕎麦を食べ歩く中で「蕎麦屋になりたい」と思うように。2013年に島根県奥出雲町に移住。17年に「姫のそばゆかり庵」を継ぐ。 ※掲載記事は取材時点の情報となります。

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