かつて世界有数の銀山として栄えた石見銀山の
中心地、大田市大森町は豊かな自然と
昔ながらの町並みが残る。
10年前、人口400人ほどの
この小さな町に魅せられて、
三浦類さんは東京から単身移住してきた。
勤務する㈱石見銀山生活文化研究所で
広報を担当し、町の暮らしを
家族や仲間と楽しみながら発信している。
就職で悩んだ学生時代。
偶然参加した講演会が
きっかけで大森へ。
三浦さんが初めて世界遺産の町、大森を訪れたのは、大学生活最後の年の2010年。夏休み期間中に「群言堂 石見銀山本店」でインターン生として働くためだった。群言堂は「根のある暮らし」をテーマに、オリジナルの洋服や雑貨などを販売しカフェも営業している。当時、三浦さんは東京の大学に通い、新聞記者を目指して就職活動の真っただ中。その中で大森に行くことになったのは、たまたま参加した大学の講演会で群言堂創業者・松場大吉氏の話を聞いたことがきっかけだった。「経営者というから事業のこと、経営のことを話すのだと思っていたら全然話さなくて。大森の自然や昔ながらの文化を大切にしている暮らし、地域の人のことばかりを話すので、とても新鮮でした」。その頃の三浦さんは、就職活動がうまくいかず、将来への不安や周囲との疎外感を抱き、悩んでいた時期でもあったという。そんな中での松場氏との出会いは三浦さんに驚きを与え、その人物像と大森町に興味を惹かれて「丁稚奉公をさせてください」と手紙を送り、インターンシップが実現した。
大森での1ヵ月間は社員寮として改装された古民家で寝起きし、就労体験の傍ら職場の人や地域の人と毎日食卓を囲んで、オフの日は海や温泉に連れ出してもらう日々。「東京のアパート暮らしは寝るためだけに帰るような孤独な生活だったので対照的な毎日でした」と三浦さん。この時、地域に受け入れられ、自分の居場所を感じたという。「職場の人や町の人と触れ合う中で、それまでは職種や業種にとらわれていたのが、『どこで、どんな暮らしを送りながら、どんな理念の下で働くのか』が大切なのだと気づきました。その上でこの町で暮らし、働きたいと思ったのです」。 2011年春、三浦さんは正式に大森町の住民になり、群言堂を運営する(株)石見銀山生活文化研究所に就職した。
自然と歴史が調和し、
人に恵まれた暮らしが魅力。
三浦さんが初めて島根県を訪れたのはインターンシップの時だ。その時に強く印象に残ったのは島根の自然の美しさ。特急「やくも」から見た宍道湖の景色や、山陰線沿いに広がる日本海の輝きは今も心に残っている。「大田の市街地から大森町に向かってさらに山間の道を進むと、山の中に突然、江戸時代にタイムワープしたような石州瓦の町並みが現れます。長く誰も住んでいない廃れた古民家ですら土地に馴染み、美しい風景だと感動しました」。加えて住民たちが率先して文化財や遺跡を保護するための活動をしていることや、地元の民間企業が働き場所をつくり、空き家になった古民家を再生して社宅にすることで町並みを守るなど、自分たちの手で町を大切にし、生き生きと生活していることが「とても魅力的」だと話す。
コミュニティのつながりが強く自治会や消防団の活動も盛ん。そうした「町ごと」でプライベートの時間がなくなることもあるが、積極的に参加して町の人たちとコミュニケーションを深めていった。就職して3年目から広報を担当し、群言堂の広報誌『三浦編集長』(現在は『三浦編集室』)の中で町の人を取材したり、三浦さんが体験した町のイベントや暮らしを発信してきたりしたことも地域とのつながりを深めた。町を歩いていると、地元の人や仲間たちから「どこへ行くの?」「家族は元気?」とひと声かけられる。仕事柄、いろんな人と会うが、島根県人だと初めて会う人でも共通の知人がいることが多い。「島根県は横のつながりをつくりやすく、会ってみたいと思う人が入ればすぐに紹介をしてもらえます」と三浦さん。職業や年齢を問わず、県全域にネットワークが生まれている。「人とつながること、受け入れてもらえることは安心感を育みます。暮らしていて、とても心地が良いです」
家族や仲間とともに
土地のものを味わう喜び。
移住して10年、プライベートでは結婚をして一児の父になった。現在は職場近くの古民家を借りて家族3人、飼い犬1匹と暮らす。「朝晩はもちろん、昼食も自宅で家族と食べることが多いです。仕事から帰ると家族が待っていることが今の一番幸せな瞬間」と顔がほころぶ。休みの日は山に出かけて、山菜採りや自分で仕掛けた狩猟用のワナの見回りをしたり、家族とのんびりと過ごしたりする日々。子どもと散歩をすれば近所の人が気さくに声をかけ、可愛がってくれる。「山菜採りや狩猟の方法は、地元の年長者たちが教えてくれました。自分たちの手や足を使って集めた季節の食材を、仲間や家族と共に味わい、時間を共有できることがうれしいです」
食卓に並ぶのは山菜や猪肉などのジビエ、川で釣ったウナギ、家庭菜園の野菜、自家製の米糀や鯖のへしこといった発酵食品。その他に地元の人からおすそ分けしてもらった山や川、海の幸など、ほとんどが地元で採れた季節の食材だ。「自分たちが食べるものの原点に触れることができる『手触りのある暮らし』は、自分にとってはとても貴重な時間。幸せなことだと感じています」と話す。こうした大森の暮らしは、先人が築いた生活の知恵や技術によるものだ。「地元の年長者たちから教わった土地の魅力や遊び方を子どもたちの世代に伝えていければ」と、受け継いだものを大切にしながら暮らしを楽しんでいる。
まだ見ぬ暮らしの楽しみを
求めていきたい。
三浦さんの職場は、群言堂本店の向かいにある古民家を再生した建物だ。入り口のすりガラスには「根のある暮らし編集室」の文字。ここで広報誌のフリーペーパー『三浦編集室』を制作したり、情報発信や取材対応をしたりしている。就職した当初は群言堂のカフェに勤務していたが、新聞記者になりたかったことを松場氏が覚えていて、三浦さんに広報誌の制作を提案してくれたのだ。三浦さんの名前を冠した誌名で、内容は三浦さんの家族のことや、町の人たちから教えてもらった狩猟や釣りのことなど、町での出来事ばかり。最近では発酵をテーマにした号を出し、家族との発酵食づくりや発酵にたずさわる人を紹介している。群言堂の広報誌なのに、群言堂の商品は載っていない。しかし石見銀山に暮らす若い移住者のリアルを伝えたことで全国から反響があり、三浦さんのデスクには読者からの感想の手紙が積まれている。県内外のトークイベントやワークショップにも呼ばれるようになったという。「今まで一人で制作していたのですが、誌面のリニューアルを機にメンバーが増えました。まだまだこの町の暮らしや文化について伝えきれていないので、仲間たちとともにこの町に根をはり、内容を充実させていきたいです」
東京から単身で移住して10年。豊かな自然の中で、町の人に教えられながら山や川で自分の手で採ってきたものを家族や仲間たちと分かち合う「手触りのある暮らし」を送ってきた。「地元のおじちゃんたちと比べたら、自分はまだまだ山や川での遊びを究めていません。昔の人の暮らしの知恵は奥深く、自分たちもまた文化の担い手となっていろいろな楽しみ方を見つけられるはず」と町の暮らしへの探求心は尽きないようだ。「新たな楽しみを見つけたら、それを仲間や家族とシェアして、さらに町の内外に発信していきたいです」。
- 三浦類さん
- 愛知県名古屋市で生まれ育ち、アメリカ、南アフリカなどで幼少期を過ごす。東京外国語大学進学に伴い上京。㈱石見銀山生活文化研究所への就職を機に、2011年春に大田市大森町に移住。同社の広報を担当し、町の暮らしを発信する。 ※掲載記事は取材時点の情報となります。