教師をしていた小山亜理沙さんが
「おもしろそう!」の直感をたよりに移住した
隠岐郡西ノ島町。
家族との暮らし、仕事のバランスを保ちながら
島でフリーランスとして再出発!
可能性がいっぱい広がる島暮らしを紹介します。
おもしろいことが
いっぱい詰まっている島へ
地元・千葉で高校の生物の教師をしていた小山亜理沙さん。教師仲間から「隠岐島前高校魅力化プロジェクト(現・隠岐島前教育魅力化プロジェクト)」がおもしろい活動をしている」と聞き、島根半島沖に浮かぶ隠岐諸島の海士町へ視察に訪れた。海士町を含む西ノ島町、知夫村の島々(島前地域)は少子高齢化に拍車がかかっている。言うまでもなく島前高校も生徒数が減少し廃校の危機に陥っていた。その危機を救ったのが、特別進学コースなど特色ある取り組みを行い全国から生徒を募集する「島留学」というプロジェクトだった。ピンチをチャンスに変えた生きた活動がそこにあったのだ。それを目の当たりにしワクワクが止まらない小山さんは、頭の中で隠岐の島への移住を考えていた。
自宅に帰ると夫に「島の学校へ行きたい!単身赴任をするつもりはないから!」と、反対されても跳ね返す勢いで話をもちかけた。しかし意外にも「おもしろそうだね!」と、あっさり快諾。秒で隠岐への移住が決まったのだ。そんな小山夫婦は島へ来て、すでに6年が経つ。
隠岐への移住理由は「島留学」の取り組みだけではない。せっかく島で暮らすのなら、生物の教師として動物や植物、昆虫などに接し、知ることができると思ったからだ。実は小山さん、幼少期のころ「自然」に触れ親しむ機会があまりなかった。虫を触ったのは大学に入ってから。今の子どもたちも同じで、人工芝の校庭、整備されすぎた環境の中で過ごすため「先生、苔って何?」という質問が飛んでくる。生きものや植物のことを知らなすぎることに「これでいいのだろうか?」と疑問を抱いていた。なので「自然の中で暮らす島暮らし」にとても魅力を感じていたのだ。そう、「おもしろそう!」それが小山さんの行動力となっている。
人との関わり、大自然に生かされる
THE島のコミュニティ
移住した先は西ノ島町。「Iターンするきっかけと、その地に居続けるきっかけは別でした」と話す小山さん。西ノ島町で根を張ることに決めたのは、県営住宅から現在住んでいる波止地区に引っ越したからだ。波止地区は「焼火神社」のお膝元。松浦宮司の声掛けで地域との関わりがグンと近く、そして深くなった。これまで学校と家との行き来だけで島人との交流は少なかった、今では旬の野菜のおすそわけは当たり前、草刈りや季節の行事にも参加している。島の人たちは子どもたちの様子も見てくれて「子どもは島の宝物だね!」「歩くようになったね~」「あ、歯が生えてきたかね!」と声をかけてくれる。事細かく覚えてくれていることにビックリするほどだ。人との触れ合いがこんなにも心地良く、温かいものだと、島に来てはじめて分かった。
また「島時間」と言われるように、島はのんびりしている。大自然の中に人の生活がある感覚で、あくせく働く人もいなければ、無駄に怒る人もいない。生活を大切に、しかも楽しみながら生きているカッコイイ大人たちが多い。
もちろん海の景色は最高!特に焼火神社の社務所から見える景色がお気に入り。窓から見える風景は絵画のようで、いつまでも眺めていたくなる。そして西ノ島といえば「国賀海岸」。家から15分ほど車を走らせるだけで断崖絶壁の絶景にたどり着く。そこは映画のワンシーンのような手つかずの自然美が広がっている。いつ来ても自然に抱かれ「無」となれる。「日常の悩みがなんとちっぽけなものなのか」と心洗われる場所だ。
やりたいことを形に
移動雑貨屋「海月堂」オープン
小山さんは移住して島前高校の教師となり、高校魅力化コーディネーター、西ノ島町の教育魅力化コーディネーターなど、島の教育に関わる仕事に就いていた。その間に2人の子どもを授かったことで、フルタイムで働くことが難しくなっていった。そこで自由に働け子育て&家事、仕事の両立ができる「フリーランス」になることを決めた。しかも「自分のやりたいこと」「島で必要とされていること」に挑戦したいと考えたのだ。
西ノ島で暮らして感じたことは、自然がたくさんありながら美術館や博物館のようなアカデミックなものが足りないということ。大きな建築物ではなくとも、ちょっとしたクリエイティブなことができたり、自然に調和するような人工物など、おもしろいモノが島にあったらいいな~とぼんやり思っていたのだ。それを踏まえ、自分の興味関心のあることを一緒くたにして思いついたのが、雑多な移動雑貨屋『海月堂』だった。
毎週日曜に島内の気ままなところへ出向き、車1台にテントを2つ張った店舗をオープン。焼き菓子や生花、手指を使うおもちゃ、ご当地カレー、非日常的なおもしろ雑貨などを店頭に並べ、のんびり営業中。夫や子どもたちとも一緒に活動し、ゆるく家族経営をしている。
子どもたちに選択肢を
たくさんの「おもしろ」探し中!
仕事は移動雑貨屋だけではなく、プログラマーである夫と一緒に、子どもたちにプログラミング講座を行っている。教師だったということもあり、子どもたちに関わりたいという気持ちは小山さんの根底にいつもある。教育現場を離れた今だから、次にやるべきことが沸々と浮かんできているのだ。例えば、子どもたちの可能性を広げ「クリエイティブを開花」させること。島には大自然が広がり、惑わされる広告もなければ賑やかなBGMもなく、雑音も入りにくい。だからこそ感性を研ぎ澄ませる空間が広がっている。しかし思いの外、クリエイティブな活動ができる場や発表する場が少ないのが現状。例えば「絵画教室があるといいかも!」「楽器ができて、ライブもできる場所がいるよね!」など、今は思いを形にする最中である。
島のデメリットをメリットに!いろんなチャンスがある宝がいっぱい。そう、島の可能性は無限大に広がっている。小山さんの「おもしろそう」はまだまだ続くのであった。
- 小山亜理沙さん
- 千葉県出身。大学院修了後、私立高等学校に勤める。2015年島根県隠岐郡西ノ島町へ移住。島前高校の教師、教育魅力化コーディネーターを経て、現在、移動雑貨屋「海月堂」を開始。プログラマーの夫と2人の子どもたちと島暮らしを満喫している。 ※掲載記事は取材時点の情報となります。