島の懐の深さに感謝。
チャレンジしたい気持ちを
受け止めてくれる。

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ここなら面白い仕事ができそう!
と期待に突き動かされて移住を決めた。
「ないものはない。あるものを活かし、
ないものは共につくる」が海士町のスタンダード。
島暮らし5年目の今も、
わくわくする気持ちは健在だ。

海士は「行ってはいけない」!?
やっぱり魅了されてしまった。

隠岐・海士町の魅力を逆説的に「行ってはいけない島」と語る人がいる。その意味は、訪れたが最後、島の風土や人情に惚れ込んで自分も移住してしまうから。勿論冗談だが、人口2300人足らずの過疎化と高齢化が進む絶海の島でありながら、ここ15年ほどで750人以上もが移住し350人以上が定着しているという事実がある。浅井峰光さんもそんな移住者の一人だ。2016年の春に愛知県から家族3人でIターンし、5年目を迎えている。

「今の会社の代表で、Iターンの先輩かつ高校の先輩でもある阿部(裕志)さんの誘いが移住のきっかけです。実はそれが7回目の転職。それまで一貫して『人の可能性を引き出す組織づくり』に取り組んできました。そんな僕に阿部さんは『島全体で人を活かす社会づくりを目指したい』と。これは殺し文句でしたね」

会社の見学と勉強を兼ねて最初に島を訪れたのは、2016年2月。本土からのフェリーが到着し、いきなり職場の賄いランチに参加した。続けて隠岐神社を散歩しながら語らい、夜はまちづくりの講義を聴講。そのまま地元有志らの交流会に巻き込まれて議論しながら酒を酌み交わし、お開きの後は阿部さん宅で差し飲み。丑三つ時を迎える頃には、心は定まっていた。
「短時間でも、海士町の人材の多様性や前向きさ、Iターンを受け入れる土壌があることなど島の良さを体感できました。真冬の真夜中に阿部さんちから宿まで海を見ながら歩いた時、菱浦湾は美しく穏やかで、僕の心も冴え渡るようだった。夜の海なのに怖くないなぁと感じたのも新鮮で、よし、この島なら大丈夫だ!って思って移住を決めました」

島の恵みを満喫。
人も自然も〝手に届く〟感じが嬉しい。

所属する株式会社「風と土と」は、地域づくりや人材育成事業を手がける。風の人(よそ者)と土の人(地元住民)。個人の中の風(革新したい部分)と土(守りたい部分)。その両方を活かして組織や社会の「風土」を作っていこうという想いを表す社名は、峰光さんのお気に入りだ。

勤めの一方で稲作も始めた。師匠に助けられながら経験を重ね、今では立派な兼業農家だ。「西区の矢原(やんばら)にある7反の田んぼで、無農薬で2tのお米を作っています。水稲技術の伝来ルート上に隠岐があり、かつ島の中でも一番古いと言われている場所なので、『自分は日本で一番歴史のある田んぼで米作りをしている』という自負があります」

田んぼも耕せば海にも潜る。漁師さんに漁を教わることもある。巨大アワビを発見した時のアドレナリンが爆発するような高揚感は、海士で初めて知った感覚だ。そして島には、目を見張る美しさの光景が当たり前に在る。海に落ちる夕陽、端から端まで見える虹、銀砂を撒いたような星空。浅井さん曰く、「綺麗だとか言葉にしなくても、ただここに居るだけで自然に充電されている気分」。

畑の野菜や釣った魚を気前よくお裾分けしてくれる人も多く、海士産の食材のみで食卓が埋まることも珍しくない。
「支えてくれる人の有り難みや島の恩恵を日々実感できるのはこの町の良さです。規模が小さいことは大きな魅力ですね。手に届く感というか、人間関係も近くてシンプルで、お陰さまが見えやすい。偉い人にも電話一本で気軽に話を聞いてもらえたりして、まちづくりを身近に感じられる。一住民でも、どうしたら地域がもっと良くなるかをイメージしやすいし、実際に〝当事者〟として地域の未来を考えて主体的に行動する人が多いですね」

〝その人なりの挑戦〟を
応援してもらえる土壌。

峰光さんを一番近くで見守るのは妻の恵美さんだ。「夫が移住を検討し始めた頃、ちょうど私も人材系企業から教育分野へと転身を考えていました。海士町は教育の島としても注目を集めていたので、きっと面白い仕事ができると確信して、夫婦の移住相談は地下鉄2駅ほどで結論が出ました」と当時を振り返る

この島の良さは「チャレンジする人が多いこと!」と恵美さん。「海士を愛し、海士を何とかしようと思って動いている人がたくさんいます。そして、多様であることを許す空気がある。人が少ないから、島にいる人すべてを活かして輝かせようという意識が根付いているのではないでしょうか。夫も、海士へ来る前はもっと〝異端児〟というか…自分も周りも苦労が多かった。でもここでは互いに歩み寄れる余地があって、その柔軟さに助けられている部分が大きいと感じます。海士の自然みたいに人もおおらかなのかも」

上場企業でマーケティングを担当していたこともある峰光さんは、その経験から「大組織でも『個人の想い』を活かすことが成功の鍵」と痛感している。それゆえに、これまで多くの移住者を迎え入れ各人の挑戦をサポートしてきた海士町に、大きな可能性を感じているのだ。
「これから益々、お金や効率のみが価値基準の時代ではなくなっていくでしょう。人どうしが信頼で緩やかに繋がり、個人を尊重し合うことで全体として幸せを感じられるような関係。そのような『組織と社会の次世代モデル』をいち早く実現できるとしたら、この島しかない」。そう確信し、事業の構想をいくつか進めている。

「島を出た若者たちが10年後にUターンを考える時、海士って都会より最先端じゃん!って思ってくれるように今のうちに仕込んでおきたいんです。従来と違う価値観で豊かさを生み出すにはビジネス自体を未来型にする必要がある。例えば再生可能エネルギーを活用したモビリティ運用とか、他地域でまだやっていないアイデアの実証実験に島外企業から投資を募って一緒にチャレンジしたい。この構想を役場のある職員さんに説明した時、3回に分け10時間以上も話を聞いてくれて感動したことがあります。僕の想いや考えをじっくり聞いて理解しようしてくれる姿勢を感じた時に、ここへ来て良かったなって幸せな気持ちになります」

〝ないものはない〟
暮らしを楽しみながら。

海士町には、「ないものはない」というスローガンがある。都会のように過剰なものはなくてもいい、本当に大事なものはすべてここにあるから。ないことを嘆くより、あるものを活かそう。ないけど欲しいものは、共につくろう。そんな在り方を宣言する言葉だ。

「島にはコンビニもスーパーもない、映画館もなければお洒落して出かけるスポットもない。ないものだらけでも、知恵や工夫、時には努力や研究で何とでもなることがいっぱいあります。暮らしの楽しみも自分たちで作ります。例えば僕は寿司が大好きだから、自分で魚を捌いて自宅で好きなように寿司を握れるようになりました。サウナが大好きだけど施設はないから、サウナ・スパ健康アドバイザーの資格を取って木製サウナを手作りしようと目下準備中です。洒落たバーも当然ないけれど、つい先日、奥さんたちは焚き火をしながらホットワインを楽しんでいました。DIYも当たり前で、うちを含め、子どもの遊具を手作りしている家庭も多いですよ」

大きなホールの代わりに、居心地の良い小さなコミュニティ施設「あまマーレ」で、演奏会や映画上映会が行われる。ピアノが得意な恵美さんは、住民が集まるイベントの時にピアノを生演奏して来場者を楽しませることもある。

「ないものはない」の精神は、モノに頼らない心の豊かさを味わうこと。と同時に、「どうあがいても田舎の離島」という状況を踏まえて反転攻勢に出るための構えでもある。
「ないものはない!って言うだけで元気になる。ないものはないんだから頑張ろ!ってね。それぐらい気負わない感じのほうが持続できます。海士町らしいこの言葉を鼻歌みたいにして、僕らしいチャレンジを続けていきたいです」

浅井峰光さん
浅井峰光さん
愛知県長久手市出身。17回の引越しを経て2016年春、同県名古屋市出身の妻・恵美さん、一人娘の結生(ゆう)ちゃんと家族3人で隠岐郡海士町へ移住。マーケティング畑が長く、現在は株式会社「風と土と」で人を活かす組織・社会づくりを担当。 ※掲載記事は取材時点の情報となります。

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