島根県の北方、日本海に浮かぶ
隠岐諸島の「中の島(海士町)」は、
島民約2600人のうち2割が県外からの
移住者という注目すべき島である。
島に移住して11年目となる福田貴之さんに
話を聞き、島での暮らしぶりを伺った。

フェリーを降りた瞬間に感じた直感
「ここだ!」
福田さんが海士町に暮らし始めたのは2014年のこと。生まれ故郷の福岡県を離れてオーストラリアのタスマニア大学で環境学を学び、日本での就職先を探す中で偶然見つけたのが海士町の「NPO法人 隠岐しぜんむら」だった。他社もいくつか面接を受けたが、福田さんのやりたいこととはマッチングせず、ここが最後の面接。一抹の不安を抱えて海士行きのフェリーに揺られること約4時間、島に上陸した瞬間にその不安は消え去った。「海士に降り立ち、“ここだ”と直感しました」。その直感は的中、そこにはまさに福田さんが理想とする場所があった。面接を終えて福岡の実家に戻ると、直後に採用の連絡が来た。福田さんは迷うことなく荷物をまとめ、再び島へと向かった。
隠岐しぜんむらは自然環境保全を目的とし、福田さんはそこで島内に向けての環境教育や、外部から来る人へのエコツアーガイド、生物調査など幅広く活動している。「自然保全や生物調査はもちろん、ガイド的なことも以前から興味があり、ここに自分のやりたいことが全部詰まっていた」と福田さんは言う。それらに加え、数年前からは隠岐島前高校地域共創科の非常勤講師を務め、ジオパークや環境関連について生徒たちに指南する。つまり、平日はNPOの活動や高校での指導を行い、休みの日は観光客にジオパークガイドをしたり、高校生たちと行動を共にしたりする日々だ。「いつ休んでるんですか?ってよく聞かれるけど、僕にとっては子どもたちと一緒にいる時間が休みなんです」と笑う。




地域は家族!
島でのご縁で祝福ムードに
島の中で暮らしていれば、おのずと大体の人が顔見知りになっていく。ランチを食べにふらりとカフェに寄っても、高確率で知り合いがいて雑談がはじまるのも島あるあるだ。そして、“困ったら助け合う”の精神が色濃く残っているのもこの島の特徴。「島に来たばかりの頃は、常に助けてもらっていました。これ食べられるよ、このことはあの人に聞いたらいいよって。何かを相談すれば誰かが教えてくれるし、道具も貸してくれる。町の中でばったり会えば、今日バーベキューでもしようかって誘われたり、距離感がもう親戚に近いですね(笑)」
そんなアットホームな島で福田さんは昨年、東京からIターンした香名さんと縁あって結婚した。福田さんが住んでいた移住者用の長屋住宅に香名さんが越してきたのがきっかけで、共通の話題を介して少しずつ距離が縮まっていったという。「結婚の報告をしたら、普段買い物をしている商店のご夫婦をはじめ、地区の皆さんがとても喜んでくれました。二人で暮らす新居を探そうとしたら、近所の方たちが“福田の家を探すぞ!”って協力してくれて(笑)地区の役員会議でも“どこかいいところないか?”って話になったそうで、もう本当に身内以上に身内。だから僕たちの披露宴も、親族で集まる会とは別に、地区の方たちに来ていただく日を設定しようと考えています」






地域みんなで育てていく島の子どもたち
「ないものはない」この島はそう宣言している。この言葉には“無くてもよい”と、“大事なモノゴトはすべてここにある”という2つの意味を持つ。海士町にコンビニはない。デパートもシネマもない。信号機は子どもたちが島を出た時のための教育用に、1基だけ設置されているのは割と有名な話だ。「確かに不便なことはあるけど、それ以上に素敵だなと思うことが多い」と福田さんは言う。便利でも別にいいけど、便利に囲まれているといろんなものが失われていく気がする、というのだ。「生きていく力なんてものは、不便から生まれると思うんです。不便だから工夫をする、無いから別の方法を探すっていう、人間本来の力が戻ってくるような感覚はありますね。やりたいこと、欲しいもの、自分の求めるものが無いなら作ればいいじゃんっていうのが、海士では当たり前の感覚なんです。だから島暮らしって、時間がゆっくり流れて、みんなのんびり過ごしているっていうイメージがありますけど、海士の人は忙しいんですよ。仕事に追われて忙しいんじゃなくて、やりたいことがいっぱいあるから忙しい。うれしそうに忙しそうにしてる人がこの島は多いかも」
塾や予備校も海士町に無いものの一つ。そこで設立されたのが、隠岐島前高校と連携した公立塾「隠岐國学習センター」である。塾がない島の子どもたちは進学が不利になるのではという懸念を解消するため、オンラインによる遠隔授業を取り入れるなど学生一人ひとりの進路実現をサポートしている。「子どもたちが何かをやりたいと言えば、あの子たちが言うならやってやろうよ!って地域の人たちは全力で応援します。島の子どもたちは島全体で育てるという地域性がありますね。子どもたちは島の宝なんです」。現在は小中学生を対象とした学びも開かれ、夕方になると誰彼無しにセンターに集まってくる。一人で自主学習をしたり、集まってディスカッションをしたり、みんなで絵を描いたり。誰かに強制されるでもなく、自由気ままなスタイルで各々が学びを深めている様子がとても印象的であった。






みんなで楽しむ精神で、
自分も地域も幸せにする
都市部と比べると海士町には無いものが多いが、海士町にしか無いものもたくさんある。海や山からいただく旬の食材、聞こえてくる自然の音、島の祭り、季節の移ろい。「島にいると、人生の時の流れを自然とともに感じられる。この時期には何が採れて何が美味しくて、何を植えるといいとか、人間にとって大切なことは自然が全部教えてくれるんです」
福田さんは現在、地域の氏子総代を担っている。「移住して長くなると、島にとって守るべきもの、残すべきものが何となく分かってくる。お祭り一つにしても、地域の人たちが真剣につくりあげようとする姿を見ると、自分たちが次世代に繋げていかなければと強く思います」。
移住することは誰でもできるが、その土地で楽しくやっていくためには自分のことだけ考えていては難しいと福田さんは語る。「例えば自分の会社だけで5億稼ぐより、数社みんなで1億ずつ稼ごうみたいな感覚が必要。失敗をする人は自分だけ“楽しもう”、成功する人はみんなで“楽しみましょう”と考える。自分本位でやって一人勝ちを狙うのではなく、地域と人と、一緒にやるという考え方で、この島の良さをずっと後世に残していきたい」
移住11年目。島に馴染み、島民の一員となり、海士町という大きな家族の中で、福田さんはパートナーとともに次のライフステージへと進む。






- 福田貴之さん
- 福岡県出身。オーストラリアのタスマニア大学を卒業し、帰国後に海士町の「NPO法人隠岐しぜんむら」に就職。環境教育やエコツアーガイド、生物調査のほか、隠岐島前高校地域共創科の非常勤講師としてジオパークや環境関連の活動を行う。 ※掲載記事は取材時点の情報となります。