青く晴れた東の空に、出雲富士こと中国地方の最高峰・大山が姿を現す能義平野。一級河川・飯梨川が流れる県東部に位置するここ安来市は、県内屈指の穀倉地帯。コミカルなスタイルが笑いを誘う、あの「どじょうすくい踊り」のふるさとだ。そんな能義平野の、のどかに広がる田んぼのあぜ道に、子どもたちと散歩する矢田敦子さんの姿があった。大正9年の創業から丸100年になる矢田醤油店の3代目。
「農道をグルッと走ったら、ちょうど5㎞。いいランニングコースなんですよ」。現在は子育てのため休息中だが、フルマラソンも走る健脚の持ち主だ。
高校卒業後、地元の短大から岡山県の大学へ編入学し、管理栄養士を取得。その後、家業を継ぐ覚悟を決めて、東京農業大学の醸造科学科に進学した。「両親の希望でもありましたが、私自身、家業を継ぎたいという気持ちが強くて。自分の中でしっくりくる決断でした」。
お客さんの「矢田の醤油じゃないといけん」という言葉を聞いたとき、地元の人々の生活になくてはならない存在であることを実感。
彼女にとって家業を継いで味を守ることが、ごく自然な流れになった。
大学卒業と同時にUターンした敦子さん。その1年後には、大学のサークルで知り合った東京出身の大典さんと結婚。国際農業開発学科出身の彼は、畑仕事とヘヴィメタルが好きで、将来の夢は「田舎暮らし」。出逢うべくして出逢った、そう思えるご夫婦だ。
「実は、SNSで〝メタル醤油屋さん〟として話題になったことがあるんです」と、かなりインパクトのある話題。
それは、安来市の商工会議所が主体となり、各商店主が講師となって講座を開く「まちゼミ」でのこと。
「彼のアイデアで、〝ヘヴィメタルを聴きながら味噌汁を楽しもう!〟とか、メタル餅つきや、メタル流しそうめんなどの講座を開催したんです」。これが、意外に人気の講座となり、SNSで「メタル醤油屋さん」として話題になったという。
そこには「老舗の醤油店だから」というような、堅苦しい縛りは一切ない。
「やりたいことを楽しんでやる」。そんな軽やかなスタンスが、なんとも快い。
「うちの町内はとくに〝婿さんは大切にしてあげんといけん!〟という風習が昔からあって、お婿さんは可愛がってもらえます」。
それは、ある夏の日、大典さんが畑の草刈りをしていたときに起こった。「暑いのに東京の人に何させちょ~だ。心配だけん止めさせない!(止めさせなさい)」と、近所の人から電話が入ったのだ。当の本人は好きでやっている畑仕事でも、“東京の人” というだけで、何も出来ないイメージがあるようだった。
「悪くいったら〝お節介〟だけど、そういうふうに地域の人たちが見守っていてくれるというのは、とてもありがたい。助け合いの精神がちゃんと根づいているということですから」。
ご近所さんから、配達に行った先から、野菜をいただくことも日常茶飯事。トマト、キュウリ、ナス、ピーマン…季節の野菜には事欠かない。「白菜がどっさりくると、しばらく鍋だな、みたいな(笑)。うちも、お菓子をもらいすぎたらお裾分けしたりしています」。そういう昔ながらの物々交換的な光景が、今もしっかり健在だ。「そんな気安い近所づきあいに慣れていない人は、ちょっとびっくりされるかもしれませんね。私たちは〝お節介〟というか〝親切〟というか、その親密な関係性がうれしいし、楽しいんです」。バリバリの出雲弁を交わしながらの、地元の人々とのお付き合い。気取らなくていい、飾らなくていい、このなんともいえない安心感も、彼女が島根の暮らしを選んだ理由のひとつなのだろう。