東京で広告関係の会社に勤め、デザインやプロモーション企画などに携わっていた阿部さん。「20代でいろいろな経験を積んで、30代では地方に移住し、スキルを活かしてチャレンジしたいという考えがなんとなくありました」と話す。転機はちょうど30代を前にした頃。山陰にいる妻の家族が体調を崩し、それぞれの実家にいつでも行ける場所に移住しようと決意した。
教職の妻が島根で採用試験を受け直し、雲南市の小学校への赴任が決まったため、木次町に移住。「高速道路のインターチェンジがあり、移動が便利なのも都合が良かったです。僕の地元の愛媛県にも、妻の実家がある鳥取県にも行きやすいんです」
移住後、教育系NPOで働きつつ、副業でデザインの仕事を手掛けていたが「島根は競合が少なくビジネスチャンスがあり、魅力的なクライアントが多い。独立して仕事をやっていける土壌だ」と確信。2020年に独立開業した。
独立開業と言っても、阿部さんの仕事はパソコン1台あればほとんど完結するため場所も時間も選ばない。現在は自宅で仕事をしつつ、車で10分ほどの場所にあるワーキングスペース「オトナリ」も拠点の一つにしている。
取引先のほとんどが、前職で繋がりができた首都圏の会社や県外の団体。テレビ会議システムを使えばどこにいても日本中、世界中の人と仕事ができる。わざわざ相手の会社に出向いて打ち合わせや営業をすることは一切ない。島根にいながら他府県のイベントのチラシやロゴ、ホームページなどをデザインし、PR活動の企画を提案している。取材時はハーバード大学のチームと医療系プロモーションを手掛けていた。もちろん、日本どころか木次町から一歩も出ずに完結する仕事だ。
移住後に待望の第一子が誕生。阿部さんの仕事のスタイルだと、育児に力を入れ、子どもと向き合う時間がしっかり取れるので、充実感を得られるそうだ。妻は終日隣町の小学校に勤めているので、保育園の送迎や家事をするのはほとんど阿部さん。「家事も頑張っています。効率よくこなすためにドラム式洗濯機を買いました。山陰は洗濯物が乾きにくいですからね。妻の産後ケアもバッチリだった!…と思っていますけど、そこは本人に聞いたほうがいいかな」と笑顔を見せる。子どもが保育園に行けない時も阿部さんが世話をする。オンラインで仕事をしていると、抱っこしてあやしながらの打ち合わせも不可能ではない。「最近は取引先の人も在宅ワークが多くて、お互い子どもを膝に乗せて会議することもありますよ」。
休日は家族3人で出掛ける。島根県全土をフィールドに、海に川、山、水族館、公園などで楽しむ。「3密どころか1密もない場所ばかり!子どもが思いきり走り回れる所がたくさんあるんですよ。こんなにのびのびできるところは都会にはありません」
阿部さん自身も解放感を感じている。東京は人も物も多く、情報があふれていた。「広告を仕事にしていたためか、目に入るものの意図を読み解こうとしてしまうんですよ。人の服、身に纏う香り、広告のデザイン、みんな気になって疲れてしまって、下をむきがちでした」。島根は自然が豊かで、ありのままの姿でそこに存在するだけだ。人の素朴な在り方にも安らぎを感じている。「島根は人が優しい!出る杭を打つのではなく、育ててのばしてくれる人が多いです。移住したばかりの頃に作業をする場所を提供してくれた人たちがいたり、仕事につながりそうな人を紹介してくれたり…。なんでそんなにしてくれるの?と驚きました」。
移住前に抱いていた「30代では地方に移住しスキルを活かしてチャレンジしたい」という志は、島根で活動する人をサポートする形でも実現している。地域活性イベントのポスターや、地域資源を活用した商品のロゴなどをデザイン。拠点にしている「オトナリ」のロゴも阿部さんが手掛けたものだ。JR木次駅の近く、昔ながらの商店が並ぶ通りに立つあいさつ運動の幟も阿部さんがデザインしたもの。「地元の団体が依頼してくれました。『こんなに可愛い幟ができたんだ』『デザインしてもらってよかった』と言ってもらえ、前進した手応えがあります」
地域の問題にチャレンジする人を応援するコミュニティにも所属し、デザインやプロモーション提案などサポートを行っている。例えば「放置果樹を活用して商品にするサービスをしたい」と相談しにきた人に対して、阿部さんはサービスのロゴデザインを請負いながら、相手の本当にやりたいことをヒアリング。今後のPR方法の相談にも乗っている。「デザインや広報などに関わるアイデア一つで、一人一人の思いが形になっていきます。とにかく何かやりたい!と頑張る人のサポーターのような仕事をこの場所で続けていきたいです」
阿部さんのモチベーションは、誰かの喜び。売上や動員といった数値化された結果ではなく、「アイデアもらった商品、お客さんが美味しそうに食べてたよ」「やりたいことを理解して、形にしてもらえて嬉しかった」という声に手応えと幸せをより感じる。近隣の人からデザインやデータ作成について相談を受け、技術を教えることも増えてきた。この場所だからこそ得られる、何ものにも変えられない阿部さんだけの“利益”だ。
自宅で作業をするフリーランスは孤立しがちで、コミュニケーションがオンライン中心になると人とのつながりが希薄になることもある。しかし阿部さんには「オトナリ」という人とつながる起点となる場所がある。近隣にもコワーキングスペースや地域活動のスペースがあり、町の人も阿部さんを受け入れ、公私の壁のない関係が広がっている。取材した日も、「オトナリ」には阿部さんを訪ねてくる人たちがいた。
地域の仕事を通じて友人が増え、年齢や肩書きに関係なく交友関係が広がっている。飲み会をしたり、ゲームをしたり…。「飲み会で遅くなりそうだとみんな『泊まっていきなよ』って言ってくれるんです。東京だと終電を逃すと大変だったんですけどね。そういうのも島根らしいのかな?」
東京と変わらない仕事をしながら、その場所だからできるやりがいのある仕事も見つけ、温かいつながりも得た阿部さん。雲南市に下ろした根は、しっかりと土に馴染んで広がっている。「この前イベントに行ったら、そこらじゅう知っている人だらけ。俺すげー友達いるな!と思いました」と晴れやかに笑っていた。