「どうしてる?」「いつ川本に帰ってくる?」。小学校から野球部に入り、高校まで野球に打ち込んでいた大久保さん。就職して県外に出てからも、町役場の野球部の先輩がずっと連絡をくれていた。曾祖母、祖父母、両親と子どもたちという4世代家族の中で育ったが、大阪の大手ゼネコンに就職し、全国で道路や建物などの建設に携わり始めた頃、祖母、母方の祖父、曾祖母、祖父と1年に1人ずつ亡くなった。妹2人も独立し、もともと9人家族だった家は両親2人だけに。「家に帰ってこいと、じいちゃん、ばあちゃんが言っているのかな」。大久保さんはそう感じた。
地元の建設会社から誘いもあったが、「いつも気にかけてくれていた先輩の力になりたい」と観光協会に就職。それまで経験したことのない分野に飛び込んだ。その当時、島根県江津市と広島県三次市を結ぶ三江線の営業終了が決まり、川本駅は三江線の廃線を惜しむたくさんの人で大にぎわい。駅で人びとをもてなし、川本町をPRするのが大久保さんの初仕事となった。
長らく生活の一部として親しまれてきた三江線の最後を華々しく飾ろうと、駅前の商店や飲食店、学校からたくさんの町民が集まって、おもてなしイベントを一緒に行った。大久保さんにとってすべてが手探りだったが、地元の特産品を集めたマルシェに協力してくれたり、吹奏楽や太鼓の演奏を快く披露してくれたり。進んで手を貸し、一緒に笑顔でイベントを盛り上げてくれる町民の存在は、とても心強かったという。知り合いではなかった人たちが、大久保さんがUターンしてきたことを知ると、「よう帰ってきてくれた」と一様に喜んでくれたのもうれしかった。
良縁に恵まれ、Uターンして2年後に結婚。子どもも生まれ、現在は両親と妻と子どもの5人で暮らす。「ようやくハイハイができるようになりました。仕事が終わって家に帰って、妻と子どもの顔を見るとホッとする。家庭に癒されているなとしみじみ思います」と語る。
同じ町内に住む同級生も子育て世代。地元のケーブルテレビの放送で保育園の発表会を見ながら、「あ、この子はあそこの子じゃないか」「お父さんとよう似とるな」と家族で盛り上がる。「昔は田舎が嫌で都会にあこがれていたけど、今は、人のことも我がこととして一緒に喜んだり、心配してくれたりする田舎のやさしい空気に触れて、帰ってきて本当によかったなと思っています」と話す。
高校野球部OB中心の社会人野球チームに入り、休日は仲間と一緒に汗を流す。地域にとって大久保さんは貴重な若手。自治会や消防団などから「頼りにしとるで」と誘われ、地域活動にも多忙な日々だ。でも「いろいろな人と話ができるのが楽しいから、全然、苦じゃないんです」と大久保さん。「初めは家族のことを想って帰ってきましたが、町民の皆さんとの触れ合いを通じて、川本があらためて大好きになりました。自分が迎えてもらったように、私も川本を訪れてくれた人たちを温かく迎え入れたい」と語った。