人材ビジネスを展開するパソナグループで、マーケティングを担当していた田窪さん。「自分たちのアイデアで、今あるものをいかに効率的に、さらに拡大させていくか。とても刺激的で面白い仕事だったのですが、今後のキャリアを考えた時に、既存のものを大きくする仕事ではなく、何もないところから生み出していく力を身に付けたいと考えるようになりました」。そんな想いを抱いていると、偶然、㈱パソナテックの島根Labが立ち上がることになり、社内で島根での働き手が公募された。
学生時代に大阪で知り合った妻は鳥取県大山町出身で、都会育ちの田窪さんは、帰省で山陰を訪れる度に田舎暮らしへのあこがれを募らせていた。逆に、田舎から都会に出た妻は地元に帰る気持ちはなかったが、長男が生まれたのを機に、夫婦二人だけで都会で子育てする大変さを痛感し、島根への移住に賛成してくれたという。
大所帯で働いていた東京本社とは違い、２人体制でスタートした島根Labは、拠点としての自力にも限界があった。何か事業に取り組もうと思った時に、自治体をはじめ社外のさまざまな分野の人々と関わらないと何事も成り立たなかった。「たくさんの方と話して気付いたのは、皆さんが『地域にとっていい活動ってなんだろう』と考えながら動いていること。東京にいた時は、いかに会社の売上を上げるか、自分の評価はどうかなど、若かったこともあって視野が狭くなっていましたが、島根に来て、地域のために会社の在り方や自分の仕事内容を考えるという視点に立つようになりました」と語る。IT技術と地域をかけ合わせて、人材を育成したり、地域が抱える課題の解決を図ったり。県や市、大学、同業のIT企業などと連携して、ITへの興味を引き出すセミナー、実践型ワークショップの開催など、ゼロから新しいコンテンツを生み出す日々だ。
学生向けのセミナーでは講師も務める田窪さん。地域の活性化につながる田窪さんらの取り組みはマスコミに取材されることも多い。「人前に立ったり、取材を受けたりすることは東京ではなかったので、受講生に喜んでもらえたり、新聞で大きく取り上げられたりして反響が得られるのはモチベーションにつながりますね」と語る。
「島根に住み始めて、都市部で働いていた時はずいぶんストレスがかかっていたんだなと気付きました」と話す。例えば、満員電車で1時間の通勤、人混み、窓から見えるビル群。「それが当たり前だったから分からなかったけど、島根に来て、そういうストレスから解放されている自分がいました。今、都会で働いている人たちも同じなんじゃないだろうか、と思ったんです」。人生の選択肢を広げるきっかけにしてほしいと、2020年に地方で働く機会と体験を提供する新会社「ワークアット（株）」を立ち上げ、田窪さんはその会社の副社長に就任した。「まさか自分が会社を立ち上げるなんて思ってもいませんでした。島根で、同じ想いを持った人に出会えたこと、そして、地域にとって必要なこととは何かという視点を得られたことで、このような素晴らしいチャレンジができました」と語る。
移住後、子どもの言葉にハッとしたことがあった。地元の大阪に家族で帰省して目一杯遊んだ帰り道、田窪さんはたくさん楽しめる都会の方がいいのかなと、長男に「大阪に住みたい？」と尋ねた。すると長男から「静かなところで寝たいから松江がいい」という返事が。「それが人間の本質のような気がして、とても印象に残っています」。朝日を浴びながら宍道湖沿いを走り、通勤時には自転車のチャイルドシートに長男と長女を乗せてさっそうと松江の街を駆け抜ける。休みの日には、子どもたちと芝生に座って夕陽を眺める。田窪さんは「オンもオフも充実しています」と笑った。
